いなりずしといえば、関東風の俵型と関西風の三角型が知られていますが、埼玉県熊谷市妻沼町(めぬままち)には、1個14cmもある長いいなりずしがあります。江戸時代から続くすし店で売られる珍しいいなりずしを、地元で食育に携わる青鹿ちひろさんが紹介してくれました。
地元のすし店が守り続ける伝統の長さ
埼玉県妻沼地域には、長いいなりずしを購入できる代表的なお店が3店舗あります。もっとも古いとされる、江戸時代中期の宝暦年間開業の森川寿司、明治時代の門前茶屋を発祥とする小林寿司、戦後、聖天山付近に店を構えた聖天寿司です。
どの店舗でも長いいなりずしは1人前500円前後で販売されており、いなりずし3本と、かんぴょうのり巻き、紅ショウガが入っています。手ごろな価格で多くの方に親しまれています。
長さを計ると約14cmもありました。1本の重さもずっしり。甘く煮た油揚げはコクがあり、黒糖のような甘さのものや、かんぴょうが巻かれたいなりずしもあり、とてもおいしく食べごたえがあります。
「長い理由」は諸説あり
昔から貴重な米でつくられたいなりずしは、とくに行事やハレの日に食べられていたようです。妻沼のいなりずしがなぜこのような独特な形状になったのか、熊谷市立江南文化財センターの山下祐樹さんに話を聞くと、その歴史には諸説あり、はっきりとした理由は分かっていないそうです。
江戸時代、妻沼地域は利根川添いで田んぼや畑に恵まれ、良質な米がとれました。利根川の船着き場としても栄えた場所だったことから、長い形は、船乗りのために手づかみで食べやすくするため、という説があるそう。
もうひとつは、戦後に東京のすし商組合が始めた委託加工制度と、それに倣った各地のすし商組合により、全国の「すし」の定義が「小ぶりな握りずし」に統一され、いなりずしの大きさも縮小されたとき、森川寿司7代目店主・堀越福太郎氏は委託制度に加入しなかったため、妻沼の「いなりずし」は大きなままであり続けたと考えられる説です。
後者の説だとしたら、全国的にいなりずしが大きい時代があったのかもしれません。そう思うと興味深いですね。
森川寿司によると、戦時中、販売中止となった妻沼のいなりずしは、戦後に堀越福太郎氏が販売再開にこぎづけるために米を農家から仕入れ、菓子組合に加入して砂糖を調達し、東京の百貨店からのりを調達して、いなりずしの委託加工を始めたと伝わっているそうです。
妻沼町食品加工組合に加盟していた小林寿司、聖天寿司も福太郎氏の方針に従ったために、3店のいなりずしはほぼ同じ形態となったそう。平成に入ってからは道の駅めぬま内にある地域振興施設「めぬぱる」で同じサイズのいなりずし「吟ぎん寿し」が売られています。
国宝「歓喜院」の名物グルメとしても有名
埼玉県初の国宝に指定された日本三大聖天のひとつである妻沼聖天山の観喜院は、妻沼の聖天さまの愛称で親しまれています。縁結びのスポットとしても知られており、その周辺のグルメ情報としても、長いいなりずしが紹介されています。
緑が多く落ち着く場所なので、ぜひ訪れてみてください。行楽にもぴったりないなりずしは、各店とも、午前中で売りきれることも珍しくないそうです。開店前からお客さんが並んでいることも多いので、早めの時間帯がおすすめです。
<取材・文・写真:青鹿ちひろ>
<取材協力:熊谷市立江南文化財センター 山下祐樹>
青鹿ちひろ
埼玉県在住。2男の母。米粉マスタープロフェッショナルトレーナー。子どものアレルギーをきっかけに米粉について学び始める。仲間とともにkomeko storyとして米粉の焼菓子販売をしている。