料亭文化を伝えたい。百年続く老舗料亭をクラファンで支援

新潟県上越市高田にある国登録有形文化財「百年料亭 宇喜世(うきよ)」。魚屋から始まり、百年以上の歴史を紡いできた老舗ですが、コロナをきっかけに今年、一大修繕プロジェクトに取りかかることになりました。地域における料亭文化の継承という壮大なプロジェクトを、おさかなコーディネータのながさき一生さんがレポートします。

地元の人たちに楽しみを提供してきた老舗料亭

百年料亭 宇喜世
百年料亭 宇喜世
 
 上越市は、高田藩の城下町。現在の仲町は、かつて「田端」という町名で呼ばれ、主に魚の市場や卸売業を営むお店の多い町でした。宇喜世もかつては、その魚屋の1つでしたが、2代目が仕出し屋を始め、幕末から明治初期に3代目の寺島八蔵が割烹料亭に転身。これが、宇喜世の始まりです。

東門
東門とそこに描かれるだるま

 仕出し屋の頃から、少なくとも150年以上もの歴史のある宇喜世ですが、今の店名になったのは、昭和8年頃。そこには、「宇宙を喜ぶ」「世の中を喜ぶ」という意味が込められています。さらに、東門の看板には「七転び八起き」を意味するだるまが描かれており、「今日嫌なことがあっても、おいしいお酒とお料理でリフレッシュして、明日またがんばりましょう」という思いを表しています。

 宇喜世は、この思いが示す通り、地域内外の人たちにおいしい料理と楽しみを提供することで百年以上愛される料亭となったのです。

時代の移り変わりとともに歩んできた宇喜世

昭和8年当時の小座敷での宴会の様子
昭和8年当時の小座敷での宴会の様子

 では、どのようにして百年以上続いてきたのでしょうか。営業部長の布施一彦さんにお話を伺いました。

 じつは、宇喜世の歴史については、はっきりとした文献が残っているわけでなく、昔のことは口伝えによるものが中心だといいます。布施さんが知る限りでは、昭和40年代くらいまでは、近くに同様の料理屋や割烹、料亭が多く立ち並び、⼤勢の芸者が行き交う粋な町として栄えていたとのこと。接待での利用が多かった昭和後期までは、小規模な宴会も多く、小座敷が頻繁に使われていました

2階大広間
2階大広間での約140名の大宴会

コロナウイルスで宴会が中止。小座敷の復活を目指す

小座敷の壁
修繕できず割れたままの小座敷の壁
 
 100年以上の建物を維持するには、巨額の費用がかかります。そのため、売り上げを重視した大宴会に力を注ぐことを優先し、料亭文化が凝縮されている小座敷は20年以上も修繕できないままになりました。

 この状況が一転。コロナウイルスの蔓延により大規模宴会の中止が相次いだのです。これにより、売り上げは大幅に減少。なんとかしなければならない状況で注目されたのが、小規模での会合に適する小座敷です。布施さんによると「大規模宴会が減るなか、木造建築の3階に位置し趣のある小座敷のよさを宇喜世一同で再認識することができました。」とのこと。こうして始まったのが、小座敷修繕のクラウドファンディングプロジェクトです(2020年11月いっぱいまで受付中)。

料亭文化を次世代に残すためのクラウドファンディング

宇喜世のスタッフ
料亭文化を継承する宇喜世のスタッフ
 
 プロジェクトでは、2020年11月頃から3か月間かけて、小座敷3部屋の改修工事が行われます。その内容自体は、ひび割れた壁の修繕や水場の改修、耐震工事などですが、その先にあるものは、料亭文化の継承です。布施さんは、「料亭文化を形成する伝統芸能や芸妓文化と一体になっているのが小座敷です。修繕プロジェクトの先にあるのは、料亭文化のよさを次世代に残していくことなのです。」と語っていました。

 コロナを機に見直された料亭文化。それを後世に伝えるため、宇喜世は自らが紡いできた「七転び八起き」の精神で、地域とともに再び立ち上がろうとしています。

<文・写真 ながさき一生>

おさかなコーディネータ・ながさき一生さん
漁師の家庭で18年間家業を手伝い、東京海洋大学を卒業。現在、同大学非常勤講師。元築地市場卸。食べる魚の専門家として全国を飛び回り、自ら主宰する「魚を食べることが好き」という人のためのゆるいコミュニティ「さかなの会」は参加者延べ1000人を超える。