社長は元バンドマン。小さな家具メーカーが人気のソファをつくった訳

静岡県裾野市の小さな家具メーカー「フジライト」が2013年に立ち上げた、オリジナルブランドのソファが人気です。「地元には絶対帰りたくなかった」という3代目社長に、ブランド立ち上げ当時のことと現在の取り組みについて話してもらいました。

元バンドマンの3代目が震災後に家具メーカーを引き継ぐ

フジライト社屋

 フジライトは1965(昭和40)年に静岡県裾野市で創業した家具メーカー。創業当時から、高級感のある応接セットを中心とした家具は熟練の職人の手でつくられていて、そのクオリティの高さには定評がありました。

クラブのソファ

 そうして事業を続けてきたフジライトですが、3代目の鈴木大悟さんは大学進学のため上京。「バンド活動に夢中で、東京で一旗あげてやろうと本気で考えていました。裾野は穏やかでいい環境ではあるけど、刺激が少ない。絶対に裾野に帰るものか、と思っていたんです」と当時を振り返ります。

3代目の鈴木大悟さん

 大学卒業後にバンドがメジャーデビューするも、鳴かず飛ばず。結婚をきっかけにインテリア関係の仕事を始めます。「インテリア業界に入ったのも、どこか頭の片隅では実家が家具メーカーをやっている、という意識があったから。気にはしているけども、実家に帰って後を継ごうとは考えていませんでした」と話します。

 フジライトと大悟さんに大きな転換期が訪れたのは、今から10年前の東日本大震災のときでした。
「震災のときは家族と連絡がとれずに、不安な気持ちで帰宅しました。歩いて家に帰ったのは夜中の2時。そこで目にしたのは、停電中のわが家で毛布にくるまって余震と寒さに震える妻と子ども2人。このときに都会で暮らす不便さと、田舎で暮らす安心さに気づいたんです。きっと震災のような大きな事件があっても、裾野であれば近隣のみんなで助け合いながら暮らせるかなと」。
 
 同時に震災の影響を受け「フジライトをたたむかもしれない」といわれ、実家に帰ることを決意。フジライトの3代目として裾野に戻ることになりました。
 帰ってきて驚いたのは、スタッフの高齢化。ほとんどのスタッフが65歳以上で、「職人たちが元気なうちに、若い職人にバトンを渡さないといけない。その技術を受け継ぐ仕組みづくりから作業しました」。

オリジナルブランドを立ち上げ、自ら販路を開く

手仕事の木工職人

 3代目になった大悟さんは新しい挑戦を始めます。それはオリジナルブランドでの生産。今までは発注を受けていわれた通りのものを製作しており、自ら製品をつくり販売したことはありませんでした。大悟さんはフジライトが培ったノウハウを集約し、まったく新しいソファブランド「MANUALgraph(マニュアルグラフ)」を立ち上げ。
 ブランド名は「MANUALの大文字にしたのは木工の力仕事、graphの部分にはソファ生地の裁断屋や縫製などの繊細な仕事を表現しました」(大悟さん)。

「ソファには多彩な作業工程があり、一つだけの要素では成立しません。多様な使用環境に耐えられるよう、フレームは無垢の木材を使い、座り心地を考慮して独自開発のS字スプリングやウレタンを張り込む。肌触りを上質に仕上げるのにも、数多くの種類生地や革を選び、断裁して貼り付ける。そのひとつの作業それぞれが自社工場で行えるのは、長年の経験と技術があったから。お客様が納得のいくソファを自社ならできる、そう思ったんです」と自社の強みについて話してくれました。

手仕事の裁縫職人

 しかし、問題になったのは価格。卸や店舗販売のマージンを考えると、当初予定していたソファの価格よりも高くなり、顧客は手を出しづらくなる。大悟さんは「いかに自社の商品をお客様が納得できる価格で届けるか。考えた末にD2C(ダイレクトトゥコマース・事業者が直接顧客に販売する方法)を採用する方向を選びました」。顧客から直接注文を受け、工場から直接販売することによって、求めやすい価格で提供しようとしたのです。

MANUALgraphのデビュー作

 震災から2年後の2013年、いよいよ「MANUALgraph」の第1弾となる「MANUALSTANDARD」を発表。販売当初は大悟さんの知り合いやフジライトの顧客が興味を示し、購入してくれました。しかし、売り上げは伸びず、コンサルを雇ったりインターネット広告に力を入れたり、大手ネットモールへも出店しましたが、思うようにいきません。

 そこで「どんなシーンでどんな商品が似合うのか、それは誰に届けたいのかをしっかり理解して、自分自身で情報を届けることにしました」(大悟さん)。時間はかかりましたが、次第に大悟さんのソファはファンを生み出していきます。

倉庫は現在ショールームに

 MANUALgraphのソファを体感するために工場2階の倉庫を改修し、生活様式や使い方の異なるソファが並ぶ空間に。「FUN!(わくわくする)」を届けるために、ソファ本体の情報だけでなく、購入者や製作現場のストーリーを届けるようにしていきました。
 また、静岡に来るのが難しい顧客に対しては、東京圏を中心にカフェなどに設置協力してもらい「エクスペリエンス(体験)スポット」を展開していくなど、ファンを喜ばせる施策をいくつも行ってきました。2019年には沼津市にできたショッピングモール「ららぽーと沼津」にブランドショップを立ち上げ、年中無休でソファ体験することが可能に。都心部だけでなく地元ユーザーの認知も、次第に上がっていったそう。

ららぽーと店

コロナ禍の中、家族構成の変化に対応できるソファを開発

ソファ

 順調に見えたMANUALgraphのブランド化。しかし突然やってきた、新型コロナウイルス感染症。進出したららぽーとは緊急事態宣言中休館状態になり、お店も休業をすることになりました。しかし、新しいフジライトにはそれがひとつの「チャンス」でもあったのです。

 休業中の店舗スタッフは、裾野の本社工場へと通うようになり、工場のスタッフとの意見交換する場が生まれました。購入客の声を生かしたソファの製作は実は長い歴史では初めてのこと。そこで産まれたのが、新しい家族構成に対応できる、変化可能のソファ「Comp(コンプ)」です。

 Compは1ピース単位で組み合わせるソファで、組み合わせ方は自由。家族の増減やソファの使う環境の変化に応じて、そのユニットを変えられます。この企画をクラウドファンディングサイトMakuakeで行った結果、目標50万円のところ、177%のおよそ89万円まで達成。

ブランド化することで課題を乗り越えたフジライト。その次の描く先とは

未来を語る大悟さん

 自社ブランドを立ち上げてから8年。大悟さんは「8年間で何度も失敗した。失敗を恐れずに、社員とともに発信していき、共感を得た部分はあると思う。失敗や苦悩を恥じないこと、共有する場をつくることで多くの人が支えてくれました」と振り返ります。

フジライトのスタッフたち

 2013年当初、熟練の職工が中心だったフジライトは、現在30代がメインとなり、およそ30人の社員を背負う組織に変革。求人に対して応募が押し寄せるほどの人気のブランドに成長していきました。

 今後について大悟さんは「コロナウィルスが落ち着き、往来が自由になったらぜひ、ソファの製作現場を見に遊びに来てほしいです。そのために工場見学やソファ体験のコンテンツを成長させていきたい。僕たちはソファを売るのではなく、ライフスタイルの一環としてソファを売っている。今後もライフスタイルの変化とともにソファも変化していきたいです」と笑顔で締めくくってくれました。

 幾多の歴史の波を乗り越えてきたブランドが作り上げるソファ。そのソファの座り心地には「歴史」が刻まれているようです。

<取材・文/榎昭裕>
PRプランナー、沼津経済新聞副編集長。東京亀有生まれ、2014年に沼津に移住し、地域の情報発信、活性化活動を行っている。