産地偽装で窮地に立たされた波佐見焼。大復活のきっかけは「朝飯会」

おしゃれなデザインで人気を集めている波佐見焼。一時は存亡の危機にあったこの焼き物が大復活を遂げた背景には、町の人たちが参加する「朝飯会」の存在がありました。そのプロセスを研究している、長崎県立大学の竹田英司准教授にお話を聞きました。

観光目的の人も多く訪れる波佐見町

陶芸の里の碑の脇に立つ若い女性

 長崎県の中央北部に位置する波佐見町でつくられる「波佐見焼」。スタイリッシュでモダンな食器や温かみのある器などデザインは多彩で、しかも、機能的なうえに値段もお手頃。日々の食卓を豊かに彩ってくれると、近年、人気を集めています。

 その波佐見焼の名が全国に広がるのと合わせて、波佐見町自体も活性化しています。コロナ禍にあっても、おしゃれなカフェ店や雑貨店、スイーツ専門店などが続々と登場。近隣から観光で訪れる若い人が増加しているのだとか。

 周囲を山に囲まれた昔ながらの窯業の静かな町が、なぜ、ここまで注目を集めるようになったのでしょうか? その理由を、波佐見町の地域経済を研究する長崎県立大学地域創造学部の竹田英司准教授に伺いました。

きっかけは日本中を揺るがした「産地偽装」

陶器を運ぶ

 波佐見の焼き物は豊臣秀吉の朝鮮出兵をきっかけに興ったそうで、400年もの歴史を誇ります。しかし、「波佐見焼」という焼き物は存在せず、「有田焼」として日本中に流通していました。有田町で生産されるのは高級食器の「有田焼」、一方、普段づかいの「有田焼」が波佐見町でつくられていたのです。

 しかし、2004年に大きな転機が訪れます。記憶にある人も多いでしょうが、日本全国で「産地偽装事件」が噴出。アメリカ産牛肉を国産とするなど、不適正な表示が問題視されるなかで、有田でつくられていない波佐見の焼き物は「有田焼」と名乗れなくなったのです。
 焼き物の生産地として、波佐見はどうするのか? 町はかつてない危機に陥ります。

 しかし、竹田さんは「有田焼の名前を捨てたこと。今となってはそれが波佐見町の成功の要因」だと言います。
 波佐見を変えるーー。町の有志たちが取り組んだのは、「波佐見焼」のブランド化ではなく、「波佐見」全体のブランド化でした。

「当時、町の有志たちが考えたのは『町をおこせば、焼き物も売れていく』ということだったそうです。そのため、まずは観光に力を入れた。窯業の町だけでなく、遊びに来たくなる町を目指したのです」

 地域創生の聖地と呼ばれる徳島県神山町など、うまくいっている地域があればお手本にしようと出かけ、積極的に外から人を誘致するなど「やれることはなんでもやった」そう。

「活動の中心になった有志たちは、口は出さないがお金を出すというタイプの方々で。自分たちがやるのではなく、『やりたい!』という人に場を貸し、売り先に困っていたら紹介をするなどとことんサポートをしたそうです。その熱意を感じて、東京でレストランをしていたシェフや山形の陶芸家が移住。軌道に乗っていくと、移住してきた方が恩義を感じて町のためにまたがんばる。そんな流れができていったのだと思います」

 こうして「波佐見ブランド」が生まれて10年近くがたった2012年、1人あたりの波佐見焼購入費は大きく回復。2013年以降には波佐見焼の出荷額も復調していき、現在のブームへとつながっていったのです。

「波佐見だけでなく、地域再生には時間がかかるもの。長期的な視野が必要だということです。でも、10年後、波佐見焼というモノだけではなく、地域の生活に密着した産業観光とおしゃれな場所というコトまでを含み、多様性をもって『波佐見』ブランドが広がりました。それが、波佐見ブランドに新鮮さを生み、新たな消費者を獲得するという循環を生み出しているんです」

「波佐見朝飯会」が地域のブランド化を推進

朝飯会でプレゼン

 波佐見ブランド化の成功は、波佐見焼だけに特化するのではなく、「波佐見」のブランド化という大きなグランドデザインを描き、それを、諦めることもぶれることもなく続けてこれたこと。そして、外からの人や知恵を柔軟に取り入れたことにあるようです。

 ただ、こうしてふりかえって成功の要因を語るのは簡単ですが、実際はとても難しい。なぜ、波佐見ではそれができたのか? 竹田さんは「危機感を共有できたから」だといいます。

「長年、有田焼の下請けをしてきたのが、明日からそれができない、というまさに、危機的な状況になったわけです。当初は一枚岩ではなかったようですが、『なんとかしなくてはいけない』という危機感が町のみんなの共通認識になっていきました」

朝飯会でスピーチ

 その土壌をつくったのが、町の有志たちが2003年5月から行っている「波佐見朝飯会」。
毎月第1土曜日の朝6時半から3時間ほど、町長や観光協会の人など町内外の有志たちが集まって、朝ご飯を食べながらおしゃべりする会なのだそう。

「私も2019年4月に長崎県立大学に赴任してからずっと参加していますが、かしこまった会ではなく、日常の他愛もないことも含めて、みんながざっくばらんに話をします。東京から省庁の人がスーツ姿で視察に来て『場違いでした』と、あまりのラフさに驚くほどで。でも、この場が果たした役割は大きいですね」

 そんな「波佐見朝飯会」と並行して、窯業者たちでつくる波佐見焼振興会でも月1回の定期的な会合を開催。危機感を共有する場が2つあったのです。

「夜、お酒が入れば、話は盛りあがるけれど、けんかになることもある。朝だったらけんかをすることもないだろう、と朝ご飯会になったそうです。実際、言い争いになることなど一切ありませんし、毎回、会が終わると『なにかやりたい』『やらなきゃいけない』という気持ちになれる。元気を分け合う場でもあるんです」

職人が職人でいるために変わる

陶芸づくりを体験

 町の人、一人ひとりの思いを見れば、おそらく変化に対する抵抗や疎外感がある人もいたでしょう。よそから入ってきてほしくないという思いがあったり、静かにものづくりに向き合いたいと思ったり。
しかし、なにも変わらずに産地としてやっていくことは不可能――。

 そんな思いに町がひとつになった。ブランドが花開くまでにかかった時間には、こうした意識の醸成にかかった時間も含まれているのかもしれません。

「じつは、私の父と祖父は雪駄職人なんです。私自身は職人修業が終わったあと『売り方を学べ』と外に出て、結局、戻らなかった人間ですが、職人の思いはわかるつもりです。職人はえてして、自分のその生まれた場所で変わらずに職人でいたいと思っています。波佐見町も、変わらずに守りたいものは『波佐見焼をつくり続けること』だったわけです。変わらずにつくりつづけるためには、変わらないといけない、ということを波佐見の人たちはわかっていたのだと思います」

 企業から大量受注していたバブル期には戻れない。今を生き抜くために変化を受け入れる。ずっと職人でいるために、時代の求めるものをつくるーー。その環境をどうつくるのかは、まさに竹田さんの専門領域。研究者としても、波佐見町はとても興味深いフィールドのようです。

「赴任する前は正直、波佐見町のことなんてなにも知りませんでした。『はさみ』と言われて、切るハサミしか思い浮かばなかったくらいで(笑)。でも、波佐見町を訪れてみると、400もの窯業関連企業や職人が集まって産地として継続している。新潟の燕三条や福井の鯖江など、いわゆる『産地』が成立しているのは全国でも数えるほどになっています。なぜ、波佐見が生き残っているのか、その理由はとても興味深いものでした」

器に絵付けする女子学生

 波佐見町をフィールドにゼミ生と訪れ、調査を進めていくうちに、町の人とのかかわりは深まっていきました。今では学生がゼミの調査とは関係なく町のイベントを手伝ったり、町の人の家に泊まったり。親戚のような関係になっているのだとか。竹田さんも研究者という立場を超えて、町のこれからを思い描いています。

「地域が持続的に成長するためには、『地域の稼ぐ力』である地場産業が元気でなくてはいけません。移出入で黒字になる産業を育てる、というのが稼ぐ力。波佐見焼は見事再起し、海外に輸出するまでに復活しました。でも、まだまだコロナの影響からの回復や職人さんの技術の継承など課題はあります。波佐見町の職人さんたちが職人でいつづけられるようにサポートしたいと思っています」

竹田英司さん
長崎県立大学地域創造学部実践経済学科准教授。地域経済学(地域産業論・中小企業論)、観光経済学、地域連携貢献学の研究が専門。著書に『地域再生の産業観光論:やきもの産地のコト消費とモノ消費』など

取材・文/鈴木靖子