気仙沼には全国から多くの漁船がやってきます。漁師さんたちの楽しみは、水揚げ後のお風呂と朝ご飯。だけど、港近くの銭湯は土地のかさ上げのため、廃業を余儀なくされてしまいました。この状況を「なんとかしたい!」と、地元の女将さんたちが立ち上がり、「鶴亀の湯」という新しい銭湯が誕生! 復活までの道のりを、ご当地グルメ研究家の大村椿さんがレポートしてくれました。
気仙沼は日本屈指の港町。近海漁業のみならず遠洋漁船の母港でもあるため、年間を通して多くの船がこの地で水揚げをしますが、実はそのうちの約7割は他県からやって来ます。多種多様な魚種を加工して流通させるノウハウや、船のメンテナンスを含めてのさまざまな受け皿があるからだと言われています。1日で343隻もの漁船が入ったのが最高記録(平成16年)だそうで、その数に驚かされます。船の規模によるとはいえ、それぞれに漁師さんたちが乗っていますから、かなりの人数が気仙沼の地に降り立つわけです。
長い船旅を経た漁師にとって、お風呂は癒しの時間
遠洋船の場合、海の上での生活が約1年続きます。以前、遠洋マグロ漁船を見学させていただいたことがあるのですが、そこで聞いた話によると、船では真水が貴重なため、大半は海水を利用したお風呂だそうです。大きさも家庭用のものと大差ありません。船を降りて向かう場所のひとつが「銭湯」でした。「足を伸ばしてのんびりとお湯に浸かりたい」という気持ちは想像に難くないでしょう。漁師さんの中には「銭湯は港のそばになくてはならないもの」と断言する人もいるくらいです。
気仙沼の港のそばにも、131年続く「亀の湯」という、漁師さんたちに愛される銭湯がありました。東日本大震災による津波の影響で一時閉業したものの、再建した後は、漁師さんをはじめ、ボランティアに人たちや工事関係者を受け入れていました。常連さんも多く、「〇〇丸」「××丸」と船の名前が書かれた桶がいくつも置かれ、訪れる漁師さんに「おかえりなさい!」と声をかけるほど、ここがひとつのコミュニティになっており、愛される場所だったそうです。
津波被害が甚大だった気仙沼は、巨大防潮堤の建設を決断した街。そのため、まずは土を盛って土地の海抜を数メートル上げた後で区画整理するという工事がスタートしました。つまり、津波で流されなかった建物も再建した建物も全て撤去して一旦更地にし、町全体をかさ上げするということです。それにより亀の湯も退去を余儀なくされることになりました。営業を続けるためには、新たに銭湯を建築するしかありません。そのためには資金も必要です。亀の湯を営業されていた斉藤さんご夫婦は、年齢的にも体力的にも再開は難しいと判断され、2017年3月に廃業という道を選択したのでした。
亀の湯がなくなって2年。港近くのホテルには温泉がありますが、観光客らで賑わう場所に漁師さんが行くにはちょっと気後れもするでしょう。市内に他の銭湯もあるのですが、港からは少し遠く、営業も午後からのため、早朝に水揚げを終えてから行くには不向き。そんな彼らの「気仙沼には港町なのに銭湯がない」という声を耳にして、「せっかく遠くから来てくれている漁師さんのためにお風呂と朝ごはんを提供したい」と立ち上がった女性たちがいました。地元の女将さんたちが中心となった団体「気仙沼つばき会」のメンバーで、小野寺紀子さんと斉藤和枝さん、そして東京からの移住女子である、根岸えまさんの3人です。
新たに銭湯を建築すると1億円という大金が必要でした。しかし、トレーラーハウスを利用することでコストを抑えることができると判断し、そこから開業資金は3000万円と試算しました。1000万円は市から助成金を受け、1400万円は市内の企業から調達することに。しかしそれではまだ600万円足りない。そこで、残りをクラウドファンディングで資金調達することにしたのです。
クラウドファンディングで資金を調達。食堂を併設した「鶴亀の湯」が誕生
2019年3月にプロジェクトが開始され、気仙沼つばき会のメンバーをはじめ、家族、友人、知人たちが総力戦でSNSを利用して告知。支援の輪はどんどん広がっていき、80日後の5月には368名の支援を得て、目標の600万円を超える資金が集まったのでした。
この計画に賛同した人が同じく出店を表明し、気仙沼魚市場の向かい側に、合計6店舗で、7月にトレーラーハウスの商店街「みしおね横丁」が開業しました。
「亀の湯」におめでたい「鶴」をひと文字足して「鶴亀の湯」と名付けられ、食事ができる「鶴亀食堂」を併設。ここが番台代わりになっており、亀の湯の女将だった斉藤ちか子さんもお手伝いされています。常連の漁師さんたちは、斉藤さんの顔を再び見ることができて喜んだそうです。銭湯と同じく、朝から営業している鶴亀食堂では、家庭料理を中心にしたメニューが並びます。お酒も飲めるので、お風呂上りの漁師さんが、水揚げされた魚を使った刺身や煮付けをつまみに一杯……なんてことも可能。これは嬉しいですね。
男湯には、8つの洗い場と、4人ほどが入れるスペースの浴槽。正面には、気仙沼の内湾地区で1976年に行われた「気仙沼みなと祭り」が描かれた絵が掲げられていました。地元の方から寄贈された油絵だそうで、漁船で使われている防水ペンキを塗って加工を施し、ちょうど銭湯絵のようにも見えます。その上には真新しい神棚がありました。漁船にも神棚が置かれているのですが、「海の安全」と「大漁祈願」を大切にする漁師さんへの思いがここにも垣間見えます。
鶴亀食堂で食事をしていたら、1人の漁師さんがやって来ました。厨房の中にいた小野寺さんが「お疲れさま~。お風呂は入る?」と声をかけ、「ん~、飯だけでいいや」との返事。まるでどこかの家庭のような会話が繰り広げられていました。かつての「亀の湯」のように、この港に「鶴亀の湯」が根付き始めているのでしょうね。ちなみに「鶴亀の湯」は女風呂もあります。公衆浴場として営業するためには男女別々にお風呂が必要なのです。ここに入れば、ちょっと漁師さん気分になれるかもしれません。
2020年の3月で東日本大震災から丸9年。被災地から離れた地域に住んでいると、復興はもう終わったような気がしがちです。しかしまだまだ街は新しく生まれ変わっている途中。イベント的なものではなく、継続可能で人々に愛されるビジネスがいかに大事なのかを実感することができました。
<取材・文/大村 椿>
テレビ番組リサーチャー・大村 椿さん
香川県生まれ、徳島県育ち。2007年よりフリーランスになり、2008年から地方の食や習慣などを紹介する番組に携わる。その後、グルメ、地域ネタを得意とするようになり、「ご当地グルメ研究家」として食に関する活動も行っている