100輪の花からたった1g。大分県竹田市の農家が国産品普及に奮闘中

「サフラン」はパエリヤやブイヤベース、黄色いサフランライスなどの色づけや風味づけのスパイスと知られています。一方で非常に希少価値が高く、高価。ご当地グルメ研究家の大村椿さんが、貴重な国産農家での収穫体験と共にリポートします。

紫の花の赤い雌しべを乾燥させるとサフランに

サフランの花

 この艶やかな紫色の花は、サフラン(学名Crocus sativus)の花です。花が咲くのは年に一度だけ。薄紫色の美しい花弁に、黄色い雄しべと赤い雌しべがついています。その雌しべを乾燥させたものが、一般的に知られるスパイスのサフランとして流通しています。

サフランの花

 1gのサフランを生産するために必要な花は、なんと約100輪。栽培に手間がかかる上に少量しか採取できないため、非常に高価なスパイスなのです。

 世界で流通しているサフランは大半がイラン産といわれており、そのほかにスペインや中国、ギリシャなどがあります。サフランの歴史は古く、地中海沿岸地方およびヒマラヤ地方が原産とされています。旧約聖書にも登場するほど、昔から珍重されていた球根植物で、香辛料や染料として利用されていました。

長谷川さんご一家
写真は長谷川家より提供

 日本では大分県竹田市が全国の約8割以上の生産量を誇るサフランの産地であること、毎年10月下旬~11月頃に収穫が行われることを知り、生産農家の『八世屋』の長谷川暢大さん、敦子さんご夫婦の元で収穫のお手伝いをしてきました。

 長谷川さんご夫婦は共に40代。暢大さんは熊本県生まれ、敦子さんは北海道ご出身で、宮崎県からこの地へ移住してサフランを栽培しています。暢大さんが「これがうちのサフランです」と、昨年収穫して乾燥させた赤い雌しべを出してくれました。

収穫して乾燥させた赤い雌しべ

 まずは鮮やかな赤い色に目がくぎづけになりましたが、なによりもその香りの強さにびっくり。料理に使われるあのきれいな黄色の印象が強くて、香りのイメージがそんなになかったのです。うまく説明できませんが、スパイシーななかに青っぽい草のような香りを感じます。「サフランってこんな香りがするんですね」と思わずつぶやいてしまうほどでした。暢大さんは「そうなんですよ」とニヤリと笑っていました。

100年以上サフラン栽培の歴史がある竹田市

大分県竹田市

 大分県竹田市は県の南西部に位置し、山の向こうに熊本県阿蘇市、宮崎県高千穂町と接する静かな里山にあります。スパイス好きの人のなかでも、日本でサフランが栽培されていると伝えると、「国産なんてあるの?」と驚く声が聞かれます。近年の国産サフランの生産量は年間約20kg。そのうちの8割ほどが竹田産です。じつは、竹田市では100年以上の栽培の歴史があります。

 サフランは明治19(1886)年に初めて生薬として日本に入ってきました。神奈川県中郡国府村(現在の大磯町)の添田辰五郎が病気の母親のために、球根を輸入・栽培したそうです。明治36年(1903年)に辰五郎から竹田市玉来地区出身の吉良文平がサフランの球根を譲り受けたところから、この地での栽培の歴史が始まります。

 当初はうまく育たず病害が出たり、試行錯誤がありました。明治時代の終わり頃には、畑から水田で育てる方法に切り替えられていたのですが、植えていなかった球根に花がついているのを偶然見つけたことから急展開。「開花には土や水がいらない」と気づき、研究を重ねた結果、室内で開花させる方法が考案されました。

 これがこの地で現在も継承されている『竹田式』と呼ばれている独自の栽培方法です。どうやら昭和初期までは全国各地に生産が広がっていたようですが、輸入品も入ってくるようになり、徐々にほかのエリアでは栽培されなくなってしまいました。

人の手による繊細な収穫作業

サフランの球根

 現在、長谷川さんご夫婦は約10万個の球根を育てており、2022年のサフランの収穫量は3kgでした。海外では乾燥した畑で育てるため、数年植えっぱなしにすることが多いサフランですが、日本の場合、雨も多く湿度が高いので、同じようにはいきません。畑で育てた球根を初夏に掘り出して、トレーにギッシリ並べたら、シートで覆われた開花室と呼ばれる薄暗い部屋に移動させて棚で管理します。

開花室の様子

 開花室では土も水も一切与えません。日光をさえぎることで、光を求めて球根から真っ直ぐ芽が伸び、雌しべが収穫しやすくなるのだとか。棚に並べたトレーの位置もときどき変えてやるそうです。

開花するサフラン

 11月頃、気温が10℃以下になると花が咲き始めます。そこから約2週間の間に摘み取らないとなりません。夜明けとともに開花しはじめ、翌日にはしぼんでしまいます。そのため手早く作業を行う必要があるのです。ひとつの球根から2、3本の芽が出ており、花を摘んだ後もその下から伸びてきてまた咲くので、再びトレーを棚に戻して次の開花を待ちます。

赤い雌しべがサフラン

 そして今度は、摘んだ花から雌しべを外す作業が待っています。ここでは雌しべに花粉がつかないように注意。花びらを指先でトンッと軽くはたくと、3本の雌しべが取りやすくなります。指でスッと抜いていきますが、雌しべの下の部分は黄色い色をしていました。そこを外して赤い部分だけにするのが、高品質のサフランには大事な作業なのです。
 技術が進歩して機械化が進んでも、この繊細な作業は人間の手で行う必要があります。しかもテンポよくスピーディーにしないと終わりません。作業を終えた雌しべはすぐに乾燥させていきます。

真紅のサフランの雌蕊
乾燥前の状態

 この日は収穫のピークは過ぎたとはいえ繁忙期。地元のパートさんたちのほか、私のような大分県外からの人も混ざりつつ、暢大さんのお父さんが熊本県からお手伝いに来ていらっしゃいました。もちろん長谷川家の子どもたちもお手伝い。一家総出とはまさにこのことです。サフランが高価なスパイスなのも納得できます。

 今回お手伝いしたなかに「芽かき」という作業があり、暢大さんが「上質なサフランを収穫するために重要な作業のひとつなんです」と教えてくれました。花を摘み取ったあとの球根は来年に向けて再び畑に植え直すのですが、その球根の周りから何本も余分な根や芽が出ているので、栄養を集中させるため、2本の芽だけ残してひとつずつ手で取っていく作業のことだそう。

「サフランの栽培をしてみたい」と、ほかの地域の農家さんが勉強に来られることも少なくないそうですが、竹田式で栽培しても、なかなかうまくいかないことがあるようです。その原因が芽かきを行ってないこともあるのだとか。このように細やかな作業の積み重ねで、雌しべが大きく香りが豊かで高品質な竹田産のサフランとなるのですね。

竹田市からサフランの生産量を増やしたい

サフランの花

 長谷川家のお子さんたちは慣れた手つきでお手伝い。作業をしながら、サフランのことをいろいろと教えてもらいました。学校では給食に毎月サフランライスが出ているそうです。なんてぜいたく! 地産地消というにはなかなか高価なものではありますが、地元産のすばらしいものを知らないなんてもったいないですもんね。

 八世屋ではサフランを使った加工品の販売や、ワークショップも行っています。道の駅などにも八世屋のサフランティーやポン菓子などが並んでいました。また、「地元の人に、よりサフランを知ってほしい」ということで、奥様の敦子さんは出前授業なども行っているそうです。敦子さんは農業の傍ら、学習塾も経営している多才な方。きっとすてきな授業内容なんでしょうね。

 暢大さんは「サフラン農家は年々減っている」と言います。2023年は日本でサフランが栽培されるようになって120年を迎えるのですが、その一方、農家も生産量も減っているのが現実でした。生産のピークは1970年頃。当時は生産農家さんが約360戸、生産量は約500kgだったのが、2021年時点で竹田市サフラン生産出荷組合に所属するのは30名、生産量は3.7kgだそうです。長谷川家の生産量は驚異的なことが分かります。

 今回私が伺ったのは、収穫の後半戦になっていたのですが、近所からお手伝いにいらっしゃったおばあちゃんの1人が元サフラン農家さんでした。歳をとって専業でやるには難しいと、数年前に栽培をやめられたのだそうです。
「国産サフランのことをもっと知ってもらって、生産量も増やしたい。そのために栽培方法でも何でも教えていきたい」とキラキラした瞳で暢大さんはおっしゃっていました。海外でも高い評価を受けている竹田市のサフラン。国産サフランの今後の動向に注目しています。

<文・写真/大村 椿>

テレビ番組リサーチャー・大村 椿
香川県生まれ、徳島県育ち。2007年よりフリーランスになり、2008年から地方の食や習慣などを紹介する番組に携わる。その後、グルメ、地域ネタを得意とするようになり、「ご当地グルメ研究家」として食に関する活動も行っている。