正方形の見た目が特徴的な琉球畳。そこで使用される「七島藺(しちとうい)」は、 オリンピックの柔道畳に選ばれたほど、強度や美しさがすばらしい素材です。日本で唯一の生産地、大分県国東(くにさき)市で、移住者たちが行う七島藺を盛り上げる取り組みを紹介します。
国東市で栽培される畳表「七島藺」
畳の上にごろりと寝転んで本を読んだり、温泉旅館で湯上がりに畳の上でうたた寝したり、日本が誇る素晴らしい文化、畳。畳に使われている植物には2種類あり、ひとつが通常の畳「イグサ」。もうひとつが本来、琉球畳で使われるカヤツリグサ科の七島藺です。
今回ご紹介する七島藺は、大分県国東市安岐町が唯一の生産地。山間部の谷あいで寒暖の差があり、冬は積雪も多い土地です。俳優・役所広司さんの主演映画『蜩ノ記』(ひぐらしのき)に登場したことでも広く知られるようになりました。
七島藺は茎が三角で、強度が通常の畳の4〜5倍あり、丈夫で長持ちなのが特徴です。使うほどにをつやをまとい、美しい光沢とやさしい肌触り、濃い緑色と若草のような独特のやさしい香りで、収量こそ少ないですが、ほかとは一線を画す風合いが魅力です。
その丈夫さと風合いから、オリンピックの柔道会場の畳にも選ばれたこともある七島藺。香りを胸いっぱいに吸い込むと、心にしんとした静寂が訪れ、懐かしい温かさに包まれます。
七島藺表(しちとういおもて)は、最盛期の1957年には年間550万枚つくられ、明治、大正、昭和と、大分県の特産品として全国に送られました。その後、畳表は七島藺から栽培のしやすいイ草へと移行していきます。機械化に不向きな七島藺表は、時代の波によって2008年には生産農家が5件にまで減ってしまい、現在では年間生産量3000枚弱の貴重品です。
希少性と価値が見直され、注文は3か月待ち
日本が誇るこの素晴らしい七島藺を絶やしてはならないーー。そんな思いで奮起した松原さんという男性がいます。サラリーマンを辞め、国東市内で七島藺農家を営む実家に戻った松原さんは、中津市で畳店を経営する仲間たちと「くにさき七島藺振興会」の立ち上げに加わりました。
七島藺の生産者となった松原さんは当初、栽培のあまりの大変さに驚いたといいます。4月末から5月に田に植えつけ。根がゴツゴツして太く、機械では植えられないため、ひとつひとつ丁寧に手作業で行います。収穫まで約80~90日間、難しい水の管理を続けながら、色や太さにムラが出るのを防ぐために4~5回、高さを揃える梢(うら)切りを行います。夏場になると1日10cmも成長し、8~9月にいよいよ刈取りです。
刈り取りは、日の出前、日没後に手作業で行います。人の背丈より高くなった七島藺を、かがみこんで根本から刈り取って束ねます。1つの束が7~8kgというのですから、運ぶのも大変な重労働。そのままでは太すぎて畳表にできないので、刈り取ったあとは2本に分割。分割作業による不整形な断面によって、七島藺独特の美しい風合いが生み出されるのです。
10月にようやく「七島藺畳表」の織りが始まります。七島藺は太い・細い・短い・病気など、1本1本選別するのに4~5時間かかるため、1日に織れる枚数は1~2枚程度。栽培から表織りまですべて生産者が行い、1枚2万円を目指して生産しています。
平成25(2013)年5月、国東半島宇佐地域は昔ながらの循環農法が認められ、世界農業遺産に認定。この農業遺産の主な産物にもちろん七島藺が含まれます。平成27年12月には、大分県で初めて農林水産省地理的保護制度(GIマーク)に「くにさき七島藺表」が登録され、ここ数年であらためてその希少性と価値が見直されてきています。自然志向・本物志向の消費者の増加からも、国産琉球畳「七島藺表」として再び注目を集め、注文が大幅に増加。3カ月待ちの状態が続いているそうです。
七島藺の魅力に取りつかれた工芸作家も参加
七島藺産業が再生すれば、七島藺生産農家の拡大・所得の向上に繋がります。企業や集落営農などの新規参入を積極的に受け入れ、新たな地域産業を作り出していこうという「くにさき七島藺振興会」の取り組みに賛同し、「絶滅の危機から七島藺を守り、後世につなげたい!」と続く人たちがいます。
宮崎から移住してきた工芸作家・岩切千佳さんはその1人。七島藺と出会って10年。岩切さんは映画『蜩ノ記』で、原田美枝子さんや堀北真希さんらとともに、七島藺表の機織りのシーンでも登場しました。
「七島藺は、収穫時は目にも鮮やかな緑青色で、使うほどに美しいあめ色のつやをまとっていきます。とくにこの香りがすばらしい。『星野リゾート 界 由布院』では、七島藺でつくられた蛍かご照明が設置されています。貴重な日本の財産である七島藺を、決して絶やしてはなりません。編む・織る・組むなどによって、七島藺はまったく違う顔を見せ、その魅力に取りつかれてしまいました」と、岩切さん。
岩切さんの作品は、華美な装飾を施した観賞用の作品とは一線を画します。選別の過程ではじかれた七島藺を使って、日常に根ざした円座や鍋敷き、ミサンガ、しめ縄飾りなどを「七島藺工房ななつむぎ」で日々、丁寧に製作しています。
筆者も、岩切さんが行うミサンガやリースづくりのワークショップに参加し、七島藺ミサンガと七島藺正月飾りに挑戦しました。編むときは「手」だけではなく、重心を後ろに倒して「体全体」で七島藺を引っ張ります。ギュギュッと引っ張ってもしなやかで、細いにもかかわらず本当に強靭です。
岩切さんは、「工芸品をつくるとき、円座はこの農家さん、香りを出したいときは別の農家さんと、2軒の農家さんの七島藺を使い分けます。田んぼが違うと香りやしなやかさがまったく異なります。七島藺は、使えば使うほど味が出て、愛着が増していくのです」といいます。
七島藺を守り続けたい地域の人々の思い
この「七島藺工房ななつむぎ」の隣で畳づくりをされているのが、諸冨康弘(もろとみ・やすひろ)さん。諸冨さんは、大学職員を長年務め、自分の残りの人生をなにに懸けるか考え抜いた結果、「くにさき七島藺振興会」の会員としてがんばる岩切さんの姿に感銘を受け、早期退職して実家の国東へ帰郷し、七島藺農家を目指しました。
振興会立ち上げに尽力した先述の松原さんの2番弟子として頭角を現し、現在この道8年。七島藺を後世に残すため、作業の効率化と省力化を推進しています。
年始には、同じ国東市内にある国指定名勝・日本三文殊のひとつと知られる「文殊仙寺」の表参道の入り口に、岩切さんが手がけた美しいしめ縄がかけられます。しめ縄は神聖なものと不浄との境を示して張る縄。日本人のいにしえの魂が七島藺に宿っているようです。
<取材・文/脇谷美佳子>
脇谷 美佳子(わきや・みかこ)さん
東京都狛江市在住。秋田県湯沢市出身のフリーの「おばこ」ライター(おばこ=娘っこ)。二児の母。15年ほど前から、みそづくりと梅干しづくりを毎年行っている。好物は、秋田名物のハタハタのぶりっこ(たまご)、稲庭うどん、いぶりがっこ、きりたんぽ鍋、石孫のみそ。