実業家・白洲次郎・正子の旧宅で、2001年から記念館として一般公開されている東京都町田市指定史跡「旧白洲邸 武相荘 (ぶあいそう)」。2023年3月から、町田市のヘリテージマネージメント(歴史的文化遺産を保存・活用し、まちづくりに活かす活動)とされることが発表されました。白洲夫妻が生涯愛した「旧白洲邸 武相荘」をご紹介します。
白洲ファミリーの息吹が感じられる「武相荘」
白洲次郎・正子夫妻が日本の敗戦と食料危機を見越し、都会から東京都南多摩群鶴川村(現、町田市能ヶ谷)に移り住んだのは1942(昭和17)年、次郎が40歳、正子が32歳のとき。茅葺の農家を農地つきで購入し、武蔵と相模の間に位置すること、また無愛想をもじって「武相荘」名づけました。
築約150年と推測される養蚕農家は、茅葺の屋根から雨漏りするほど荒れ放題でしたが、土間は床材を張ってリビングにし、薄暗い6畳間に書斎をつくるなど、柱や梁を残しながらリフォーム。若くしてイギリスやアメリカに留学した経験をもつ、独特の感性・美学が散りばめられています。
「2歳の頃から育った原風景を維持し、大切に継承したい」という白洲次郎・正子の長女・牧山桂子さんの思いから、2001年にミュージアムとしてオープンした「旧白洲邸 武相荘」。約2000坪の敷地内を散策すると、桜、梅、ツバキ、リンドウ、モミジなど、季節の花々を楽しむこともできます。
「私が生きているうちは茅葺きにしてちょうだい」と正子が願った茅葺屋根の母屋が、現在のミュージアム。居間兼応接室には、吉田茂元首相から譲り受けた皮張りソファや酒器などの愛用品が並び、来客をもてなす次郎の姿が目に浮かびます。
外交の最前線で活躍した次郎が和訳した日本国憲法草案や、サンフランシスコ平和条約締結の際の貴重な資料群。正子お気に入りの食器や着物の数々のほか、随筆家として知られる正子の書斎も公開されています。
ミュージアム内は、靴を脱いで入館するため、白洲家に訪れたような気分が味わえるのも魅力です。
散策の合間はレストランやカフェでのんびりと
2015年のリニューアルで、喫茶室が「レストラン&カフェ」に。ランチは白洲家ゆかりのカレーや親子丼など、ディナーは完全予約制のコース料理が堪能できます。
また、2015年には穀物蔵がイングリッシュパブ「Bar&Gallery Play Fast」へと変貌。イギリスのカントリー・ジェントルメン風テイストの雰囲気のよい店内には、若かりし頃の次郎・正子の写真も。また床下には、次郎が使用していた農機具類が置かれ、農業に従事していた当時の生活も垣間見ることができます。
車好きで日曜大工が趣味だった次郎のガレージは、オープンカフェに。2009年に放映され話題となったNHK『ドラマスペシャル・白洲次郎』で使用した、クラシックカーPAIGEが展示されているのもうれしいポイントです。
「武相荘」を次世代へ継承する試みが始動
今後、武相荘の運営はポニーキャニオンとビームスに継承され、これまで運営をしてきた「こうげい」と町田市は観光連携協定を締結し、観光地の魅力向上を目指すことになりました。
「オープンから22年間の間に、約87万4千人の方々に来場いただきました。自分たちの年齢な後継者について悩んでいたところですてきなご縁があり、この2社ならば、白洲次郎・正子の世界観や価値観を次世代へ継承できると思いました」(館長 牧山圭男氏)
「白洲次郎と正子氏が、住む場所として町田市が選ばれたことは名誉なことです。町田市にとっての誇りを高め、市民だけでなく、全国に魅力を届けていきたい」(東京都町田市長 石阪丈一氏)
「白洲次郎は、世界のカルチャーに学びながら日本のいいモノを紹介する近年のビームスと重なると感じており、ある意味大先輩です。その魅力を当社の個性派クリエイターが結集する部門『ディレクターズ』の企画力で次世代に提案していきます」(ビームス代表取締役社長 設楽 洋氏)
「武相荘のすばらしさは書籍や映像ではなく、白洲夫妻の生活を体感できるところです。これまで地域活性化事業で培ってきたノウハウにより武相荘を運営し、弊社の強みである企画力や情報発信力でそのすばらしさを広く知らしめ、町田市が一層魅力的なまちになるよう尽力していきます」(ポニーキャニオン代表取締役社長 吉村 隆氏)
5月以降「武相荘」内でイベントも開催。第一弾は、イラストレーター・キンシオタニ氏の「旅とアートと人生と」、服飾ジャーナリスト・山本晃弘氏の「装いと暮らし。変わるもの変わらないもの」など、各テーマによるトークセッションを開催します。詳細はホームページでチェックを。
■公式ホームページ「旧白洲邸 武相荘」
取材協力/ポニーキャニオン エリアアライアンス部