山口県萩市といえば、幕末に明治維新の原動力となった志士を多く輩出した地として有名。そんな場所で誕生した「はぎたん」もまさに、将来を担う人材を育てるための、官学共創の新たな取り組み。萩市在住の石田洋子さんがレポートします。
「現代の松下村塾」が担う次世代教育
幕末期の指導者として知られる吉田松陰。私塾「松下村塾」を開き、身分に関係なく塾生を受け入れ、明治維新後の新政府の要人を次々と輩出しました。萩市民にとっては吉田松陰は現代でも大切な存在。歴史上の人物の名前は呼び捨てにしていいようなものですが、萩市民には「松陰先生」と呼ぶ暗黙のルールがあるほど。今も残る「松下村塾」の学び舎は世界遺産にもなっており、多くの観光客が訪れます。
「はぎたん(萩探究部)」は、そんな明治維新胎動の地ならではともいえる萩市で、新しい教育の取り組みとして生まれました。「はぎたん」には、萩市内の高校に通う学生なら、だれでも無料で入ることが可能。大学生が毎月1回、萩で授業を行うほか、随時オンライン面談で高校生の探究プロジェクトを手厚くサポートします。
「はぎたん」の立ち上げは、官僚、政治家などの経歴をもつ東京大学と慶應義塾大学の教授・鈴木寛さんの私塾「すずかんゼミ」のプロジェクトがきっかけです。
鈴木寛さんは官僚時代、山口県庁へ出向していた2年の間に20回以上、松下村塾へ足を運んでは若者の無限の可能性を実感し、人材育成の大切さに目覚めたといいます。はじめて松下村塾の建物を訪れたとき、たった8畳の講義室といくつかの狭い部屋で、わずか1年余りでも真摯に若者に向き合うと歴史が変わる、歴史は若者がつくるんだと感動したそう。
そして1995年夏から通産省勤務の傍ら、大学生などを集めた次の社会の先導者になるための学びのコミュニティ、私塾「すずかんゼミ」を主宰。2022年、すべての高校に「総合的な探究の時間」が導入されました。萩市では、鈴木寛教授から「すずかんゼミ」のゼミ生が高校生に「探究」を教えることで学びにもつなげる「萩教育プログラム」の提案を受け、立ち上げることに。同年、「はぎたん」の誕生へとつながりました。
自由に決めたテーマでの探究成果を半年後に発表
「はぎたん」を運営する萩市産業戦略室室長・小野真文さんと、運営サポートを行う一般社団法人motibase代表・和泉宏さんにお話を伺いました。
和泉さんは大学時代から教育に携わり、現在も高校生、大学生の探究教育の企画・運営を行っています。「はぎたん」では、半年間の活動の最後に各自の探究「マイプロ」について発表するのが特徴。探究テーマは、マインクラフト、推し活、ファッション、ロボットといった今どきのものから、萩焼、かまぼこ、萩の魅力というローカルなものまでさまざまです。
和泉さんが印象に残っているのは、天然記念物となっている希少な植物「コウライタチバナ」についての探究で、萩市に原木があり、先祖や仲間の植物の詳しいフローチャートをつくり上げたもの。ほかにも「伊達小荷駄(ダテコンダ)」という地域の祭りの探究では、「祭りを盛り上げたい」と探究を続けるうちに、祭りがコミュニティへもたらす意義に気づいていく過程に、探究の醍醐味を感じたそう。この探究をした生徒は、「全国高校生マイプロジェクトアワード全国サミット」に出場し、経験を通して「自分の思いや考えの言語化をうまくできるようになった」と話しました。
また、各個人がゼロから探究テーマを決める「マイプロ」だけだと「なにをしたいかわからない」と感じてしまう生徒もいたので、「アワプロ(アワープロジェクト)」という取り組みを始めたところ、探究への参加の入口を広げる大きな転機になりました。観光施設のイベントで「子どもにとってワクワクする1日をつくろう」というミッションを設け、高校生がお化け屋敷の企画をしたのが大好評で、結果的に探究や学びにつながったそうです。
「はぎたん」で萩の未来も育む
萩市内では少子化のため高校進学者が減っています。萩の高校に進学してよかったと思ってもらうことも、「はぎたん」のの目的のひとつ。実際に「はぎたん」があることを理由に市外から萩市の高校に進学した生徒もいます。大学入試も変わってきており、一般入試だけでなく、探究活動が役立つ総合型選抜も増え、「はぎたん」で活動していた生徒が難関国立大に総合型選抜で合格した実績も出ています。
ですが、進学のための塾にしたいわけではないといいます。「はぎたん」は主体的に探究を通じて学びを深めていこうというテーマで、高校生が楽しく学ぶのが基本のコンセプト。萩は高校生にとって消費するエンタメは少ないけれど、エンタメのつくり手にまわる余白があり、それを応援してくれる人たちがいることが、探究を通して実感できるはずです。「いろいろな人と知り合うことができた」「楽しかった」経験を積み、萩を知り、好きになって、高校卒業後に進学や就職で萩を出たとしても、将来帰ってくるきっかけになることが、裏ミッションだそう。
「研究」ではなく「探究」というところがポイントで、研究者を増やしたいわけではなく、前提となるのは主体性と実践です。プロジェクトを進めていくときに、大人になにかいわれたり、法律の壁があったり、さまざまな葛藤を経てリアルな社会を知っていくことが学びになっていくといいます。
高校時代に探究を通して社会のリアルに触れる経験をした大学生が「さまざまな壁はあって当たり前。そこからなにをするかである」と語るのを聞いた和泉さんは、社会経験のない学生がこの境地でいられることはすごい、と感じたそう。日本の未来を背負う多くの逸材を育てた萩という町は今でも、若者の将来を見据えた教育の土壌づくりを、継承しているといってもいいのかもしれません。
<文・写真/石田洋子>
石田洋子さん
2017年、山口県萩市に移住し、民泊や体験ができる「つぎはぎ農園」をオープン。仲間と「つぎはぎ編集部」を結成し、各種媒体で萩とその周辺の暮らしや環境、文化、ニュースを伝える。2023年に新規就農。心地よい循環をうむ暮らしと農業を目指しています。