北海道札幌市で生まれ石狩市で育ち、東京や中国・天津市でもさまざまなキャリアを積んだ後、2021年の暮れに北海道天塩町へ移住。現在は地域おこし協力隊として活動する三國秀美さんが、日々の暮らしを発信します。今回は天塩町の郷土食である牛乳豆腐をレポート。
出産後5日以内の牛乳でつくる牛乳豆腐
「いらっしゃい。今日は牛乳豆腐をつくったの」。その日、雄信内(おのぶない)地区の吉田京子さん宅で出された牛乳豆腐は、天塩町に住んで初めて知った味です。牛乳の風味がふわりと広がりながら、歯ごたえは木綿豆腐よりしっかり。初めて食べたときに「牛乳と豆腐のおいしさを同時に味わえるようで、なんてぜいたくな食べ物なんだろう」と驚いた記憶があります。
牛乳に酢やにがりを加えて固めてつくる、チーズに近い牛乳豆腐。しょうゆをかけておかずに、また、はちみつをかけてスイーツとしても食べられる食材で、みそ汁や鍋の具材としても使われています。行く先々で手づくり牛乳豆腐のおもてなしを受け、地元の味覚だと知りました。
天塩町は海や山の幸と豊富な食資源に恵まれていますが、稲作の北限より北に位置しているため、米づくりは行われていません。歴史的には畑作、とくにえん麦などの穀類や豆類、馬鈴薯(ばれいしょ)が地元の食を支えてきましたが、自然との共存は厳しく、食べるものもないほどの冷害に襲われた年もあったそう。
その後、冷害に強い馬鈴薯の栽培がさかんになり、でんぷん工場が増えましたが、その需要が減るとともに農業は酪農へとシフト。今や牛の数は1万2000頭超え。天塩町の広々とした景観は、じつは牛の牧草地確保のおかげです。
郷土食として酪農家の食卓に上がる牛乳豆腐は、背景にフードロスを防ぐという目的があります。それを知ったのは、集落地域で患者さんにお灸をしながら話を聞いているときのこと。
「私は酪農家に嫁いだのだけれど、牛乳はおなかがふくれてしまうから飲めなくて。でも、うちのおばあちゃんの牛乳豆腐は食べられたんだよね。初乳(産後はじめて絞る乳)は捨てるでしょう。2回目、3回目に搾乳した乳に、酢もなにも加えずに牛乳豆腐をつくってくれて」
この一瞬の会話には、とてもたくさんの学びがありました。酪農現場には、乳糖不耐症という悩みをもつ人がいること。厚生労働省の「乳等省令」により、出産後5日以内の牛の初乳は出荷ができないこと。しかしながら限られた食生活のなか、栄養確保のために廃棄せず、自家用として利活用を考えて継承されたのが、牛乳豆腐の始まりであること。それからというもの、これまで以上に牛乳豆腐を大事に味わっています。
地元の酪農家が牛乳豆腐のスイーツを商品化
この牛乳豆腐を広めようと町内で立ち上がった酪農家が、宇野牧場を営む宇野剛司さん。「天塩町産・世界最高峰のミルク」を目指し、完全放牧での酪農や乳製品加工を行い、UNO CAFEを運営する経営者です。
宇野さんは、牛乳豆腐をコンセプトにしたドリンクタイプのスイーツ「トロケッテ・ウーノ」を、4年もの歳月をかけて商品化。搾乳したての生乳を併設の製造工場で加工することで実現しました。ニコニコしながらも「やるならとことん」といいきる宇野さん。完全オーガニックを実現しながら牛乳豆腐をスイーツにしたことは、大きな功績だと改めて感じました。
こうして牛乳豆腐を深掘りするのも、現在私は農林水産省認定の「和食文化継承リーダー」研修中であり、リサーチの課題があったからこそ。和食にはこのような郷土食も含まれ、あらためて北海道の食のパワーを実感しています。
宇野牧場を訪れたのとほぼ同時期に、留萌(るもい)観光連盟からモニターの依頼がありました。「北海道の左上~オロロンラインの絶品グルメ~」という特設サイトに、新しく「天塩町 食の魅力セット」が追加になったとのこと(発売は2025年4月の予定)。このセットに、トロケッテ・ウーノが入っていたのです。セットはレシピカード入りで、そのレシピは仲間である、留萌市地域おこし協力隊の佐伯結さんが開発。レシピ動画も現在公開されています。
私はレシピの実践モニターとして、天塩町の人気商品「マスカットサイダー」とのコラボスイーツ「マスカットサイダーのしゅわしゅわゼリー」をつくりました。トロケッテ・ウーノとマスカットサイダーをゼリーにし、その間に冷凍ハスカップを置いて3層に。さらに上からマスカットサイダーを注ぐことで、炭酸が弾ける食感を楽しめる素敵なスイーツになりました。添えてあるオレンジを絞り食べ進むと、雪景色に広がる夕日のような色がきれいです。
留萌をあげて応援するトロケッテ・ウーノが日本全国に広まり、天塩町と牛乳豆腐の知名度がさらにアップしてくれることを願っています。
【三國秀美(みくにひでみ)さん】
北海道札幌市生まれ。北海道大学卒。ITプランナー、書籍編集者、市場リサーチャーを経てデザイン・ジャーナリスト活動を行うかたわら、東洋医学に出会う。鍼灸等の国家資格を取得後、東京都内にて開業。のちに渡中し天津市内のホテル内SPAに在籍するも、コロナ感染症拡大にともない帰国。心機一転、地域おこし協力隊として夕日の町、北海道天塩町に移住。