三重県南部の海沿いの町、尾鷲市に地域おこし協力隊として移住した郷橋正成さん。移住コンシェルジュとして奮闘していますが、そんな日々で出会った人や出来事をつづってくれます。今回は、名古屋から移住してきた、魚が大好きな19歳男子のお話です。
寿司屋さんで育って、子どものころから魚が好きでした
今回ご紹介させていただくのは名古屋から尾鷲に移住した三浦 光貴君(19歳)。
筆者の郷橋とは空き家バンクに住居探しへ訪れていただいたのをきっかけに、交流を持たせていただいておりますが、なんとその時18歳。
『なんで尾鷲に!?』と質問攻めにしたのよく覚えております。
そんな三浦君も尾鷲に移住してまもなく1年。1年住んでみて、見えてきたものがあればと思い、インタビューさせていただきました。
名古屋の街中で育った三浦くんは、小さいころから魚類の飼育が好きだったという。郊外に行ってはナマズや川魚をつかまえ飼育していたとのことで、その趣味は大人になった今でも続いているようです。
『父が名古屋で寿司屋をやっていて、物心ついたときから魚は身近な存在でした』
なるほど。街中で育ったにもかかわらず確かに魚好きのエリートなわけです。でもまたここで疑問が。『どうして寿司屋じゃないの!?』と。
『寿司や料理も好きですが、それ以上に生き物が好きで。育てるのに興味がわいちゃって、小学生のころから養殖したいって思ってました』
高校は愛知県立三谷水産高校に進学し養殖などを学び、現在は尾鷲物産という会社で養殖を行っている三浦くん。そしてプライベートでも古代魚や熱帯魚20匹ほどを飼育中。まさに魚尽くしな生活を満喫されています。三浦君は子供のころからの念願をここ尾鷲で叶えてるわけですね。
尾鷲に住んでいろいろなことに興味をもてるようになった
自宅で飼育している魚を紹介してくれた三浦くん。言葉の端々から魚への愛があふれ出ています。
『養殖業は大人気の職業ってわけではないですし、耐力仕事な部分もあります。でも、この魚がいろんな地域に行き評価されたり、味わってもらえる。そう考えるととてもやりがいのある仕事ですね』
ひと昔前は『養殖より天然』といった風潮もありましたが、今では『養殖の方が高級』なんて魚も多い。これはエサの研究や、環境の改善など偏に養殖技術の向上が要因だといわれています。
料理人や消費者をイメージできる生産者、ましてや三浦君のお父さんはお寿司屋さん。非常に感慨深い気持ちになりました。
18歳で縁もゆかりもない土地に、息子さんを送り出されたご両親のお気持ちを考えると当然ながらの質問が。
『ご両親には反対されなかった?』の問いには
『もちろん気にはかけてくれてますが、反対はされませんでした。子供のころから言ってましたし、車でもそんなに遠くないので』
注文した飲み物がソフトドリンクなの見て、未成年であることを思い出すぐらい三浦君はしっかりしている。ご両親からの信頼も十分だと思う。
尾鷲以外にも養殖関連の就職先はいくつかあったようで、尾鷲に決めた理由はもちろん会社の魅力もあってのことですが、1つは名古屋から車で往復できる距離、もう1つは暖かい地方で考えたとか。じつに明確な理由です。
僕らは定住移住や町おこしを考えるにあたって魅力を発信したり、ほかの地域にない特色を探したりしていますが、案外見落としがちなのが『移住者の都合』だと思うことがあります。
そんな移住者の都合をしっかりと把握し、ベストな町をご紹介できてこその移住コンシェルジュ。ミスマッチは絶対に起こさないよう、ありのままを見ていただきたいと考えております。
そのためには自分たちの町だけではなく、ほかの町について、もっと勉強せねばと気づかされました。人を呼びこぶことがゴールではなく『住んでよかった』といってもらえて、初めてゴールなのだと思いました。
三浦君に最後の質問として『これからも尾鷲でやって行けそうですか?』と聞いたところ、
『もちろんです。職場の方も親切にしてくださいますし、公私ともに充実しています。ただ、まだ1年なのでなんとも言えませんがこの仕事をして、尾鷲に住んでいろいろなことに興味が出てきました。いろんなところに住んで、いろんな仕事をするのも楽しいかなって思ってます』
さすが、子供のころから好きだったことを仕事にしている三浦くん。
今回は、好きなことを仕事にするため18歳で尾鷲に移住された三浦くんを取材させていただきました。名古屋から車で2時間の暖かい漁村で、チャレンジしたいことはございませんか?
郷橋正成さん
京都出身の30代。リゾートスタッフ、漁師、サラリーマン、家具職人などを経て2018年8月から尾鷲市の地域おこし協力隊に。現在、おわせ暮らしサポートセンターで活躍中。