甘くてふっくらジューシー。「祇園」のいなりずしは伊東のソウルフード

どんな地域にも地元の人に長く愛される食事・メニューがあり、「地元メシ」「郷土メシ」と呼ばれて観光客にも人気です。今回は、静岡県伊東市で愛される「いなりずし」に注目。長く愛される理由について、製造元にお話を聞きました。

伊東で愛されて75年。「いなり」といえば祇園

祇園のいなり寿司

 静岡県伊東市は「伊東に行くならハトヤ」で有名な伊東は温泉の町。実は伊東温泉の源泉は750本以上、総湧出量は4600万リットルと言われていて静岡県随一。大分県の別府・湯布院に並ぶ「日本三大温泉」と言われている温泉地です。

 その伊東は古くから温泉を中心としたレジャーが盛ん。与謝野晶子や室生犀星など文学者にも愛されたことで有名な土地で、深い歴史と豊かな文化を感じることができます。

創業当時の祇園の写真

 今回紹介する「祇園寿司」は1946(昭和21)年に誕生。創業者の守谷定一は、戦前戦中と東京で映画の弁士として活躍をしていて、戦後に伊東でいなりずし専門店をオープンしました。その後1959年に伊東駅で駅弁の販売を開始し「伊東の顔」となります。祇園は道の駅やショッピングモールにも出店を果たし、伊東市民にとって伊東のソウルフードに。

創業当時から変わらない、少しぜいたくな甘味あるいなりずし

毎日味を微調整するいなり寿司

 祇園のいなりずしの特徴は、濃いめの味つけで甘味が強いこと。創業当時は戦後間もない、米も砂糖も少ない時代。甘味のしっかりしたボリュームのあるいなりずしは地元の人だけでなく、観光客にも人気の1品になっていきました。

 現在3代目の守谷匡司社長は「創業当時からレシピは大きく変更していません。多くのお客さんは祇園の甘いいなりを買い求めてくれます。その甘いいなりを崩さないため、米の配分を変えたり、炊飯時間など日々微調整をしています」と答えてくれました。

 いなりをかんだ瞬間にじわっと出てくる出汁は、口の中に広がるジューシーさ。このジューシーさと甘さのバランスがいなりを食べるときの幸福感を演出してくれるのです。

駅弁も「記憶に残る幕の内」として人気

祇園の幕の内弁当

 いなりのほかに、祇園では伊東駅で駅弁も販売。東京から特急「踊り子」で温泉にやってきた人や、これから都心へ行く人の心に刻まれた駅弁をつくってきました。

「記憶に残る幕の内弁当はない」と言ったのは作詞家の秋元康。これはどれも特徴のないバランスのよさだと、かえって印象に残らないという例えですが、祇園の幕の内弁当は、どれも印象深いものばかり。

 そのなかでも特徴的なのが大ぶりな鶏の唐揚げ。しっかりしたタレに1晩寝かせた唐揚げは、冷めた状態でも柔らかく深い味わいが楽しめます。いなりと同じく少し濃いめの味つけは、流れる車窓の景色を色鮮やかにしてくれることでしょう。

何度も購入する人へのファンサービスも

185系デザインの掛け紙

 駅弁を包装する掛け紙が、イベントや時期によって変化するのも祇園の工夫。駅弁の表情を決めるのは掛け紙の役目と、同じ弁当でも掛け紙を変更して旅行気分を演出しているのです。現在は2021年3月に引退する136系踊り子号の車両と、伊東の景色を描いた掛け紙を採用。掛け紙が変わる度に購入するファンも多く、ファンの期待の応えるのも祇園の昔からの伝統のひとつです。

駅弁を持つ守谷社長

 75年に渡っていなりずしや弁当をつくり続けてきた祇園。守谷さんは「弁士だった祖父は、何よりも人が喜ぶことを考え、この商売を始めたと思います。駅弁はおなかを満たすだけでなく『こころを満たす』ものであると思っています。常に掛け紙を外してふたを開ける人のことを考えてつくっているのは、今も昔もこれからも変わらないことだと思います」と話してくれました。

 伊東を代表するソウルフードには、人を喜ばせる仕組みが多く詰まっています。

<取材・文/榎昭裕>
PRプランナー、沼津経済新聞副編集長。東京亀有生まれ、2014年に沼津に移住し、地域の情報発信、活性化活動を行っている。