広島で瀬戸内の魚を明治期から扱ってきた「魚食堂たわら」。地元民だけでなく、県外の人からも愛されています。地域に留まらないファンを獲得する町の食堂にはどんな秘密があるのか、おさかなコーディネータのながさき一生さんがレポート。
びっくりするくらい新鮮で手頃な価格の食堂
「魚食堂たわら」を切り盛りするのは、俵隆広(たわら たかひろ)さん。俵さんとの出会いは、2014年に東京の品川で「全日本おさかなサミット」というイベント(といっても、20人規模の単なる飲み会)を開いたときのことです。SNSにイベント情報をアップしたところ、わざわざ広島からご参加いただいたのが俵さんでした。その後、広島に行くときには必ず海田町にある「魚食堂たわら」に立ち寄ることにしています。
初めて訪ねたのは2016年。気どらず食事ができるお店の雰囲気、びっくりするくらい新鮮で手頃な値段の地魚、そしてなにを食べてもおいしいとあって、すっかり魅了されてしまいました。そんな俵さんにずっと聞いてみたかったその歴史や思い。コロナ禍で厳しい状況が続くなか、なにか参考になることがあるのではと思い、あらめてお話を伺いました。
明治27年創業の魚屋をさかな食堂へ業態変更
「魚食堂たわら」の歴史はとても長く、創業は明治27年。町の魚屋として営業を続けてきた「たわら」が、さかな食堂となったのは、2005年頃のこと。
「その頃からライフスタイルの変化で、魚離れが顕著になってきました。小売店だけでは限界を感じ、お客様が調理せずとも気軽に魚を食べられるようにしたいと思って始めたのが魚食堂です」
そうして始まった「魚食堂たわら」の最初の頃のお客様は、ほぼ地元民。住宅街にあり、工場地帯も近かったことから、家族連れや仕事帰りの工場従業員の間でたちまち人気になりました。
海鮮丼をきっかけに県外からもリピーターが
そうするうちに転機が訪れます。2015年頃からTV局などのメディアに取り上げられる機会が増えたのです。きっかけは、メニューに海鮮丼を取り入れたこと。
「瀬戸内のさまざまな海の幸を食べてもらうには、海鮮丼を手頃な値段で提供するのがいちばんいいと思って始めました。それがメディアに取り上げられるようになってからは、山口県や岡山県といった県外からのお客様も増え、出張のたびに寄っていただけるリピーターの方も多くいます。最近では、インスタグラムなどSNSを見てお越しいただく方もいらっしゃるため、見た目にも気をつかっています」
お取り寄せで楽しめる炊き込みご飯キットも販売
そして「魚食堂たわら」の味をさらに広く全国に届けたいということで始めたのが、手土産にできる炊き込みご飯キット「広島めし三昧」。
「最初は鯛めしを百貨店のフェアで販売していました。そこを訪ねたお客様から『家でつくれるセットはないのか』という声があり、開発したのが『広島めし三昧』。タイ、アナゴ、カキの三種とも素材にこだわっているのはもちろん、だしも試行錯誤して素材の味を最大限に引き立てる味つけにしています」。
「広島めし三昧」は、その後ぐるなびの「接待の手土産」にも選出され、遠方の方々からも愛される手土産に。「魚食堂たわら」の歴史を伺ううちに、町の食堂が地域を超えて愛されるようになった理由が少し分った気がします。それは、時代の変化に対応し続けていること、ニーズをくみ取ること、メディアをうまく活用すること、外に出ていく行動力、そしてなによりおいしい魚を手軽に食べられる場を提供したいという一貫した思いです。
歴史を紡いできた「魚食堂たわら」ですが、コロナの影響も大きいといいます。多くの人から愛される町の食堂は、その応援があってこそ続いていくもの。ぜひとも、これからの「魚食堂たわら」に注目するとともに、さらに多くの人からの応援をお願いします。
<文・写真 ながさき一生>
おさかなコーディネータ・ながさき一生さん
漁師の家庭で18年間家業を手伝い、東京海洋大学を卒業。現在、同大学非常勤講師。元築地市場卸。食べる魚の専門家として全国を飛び回り、自ら主宰する「魚を食べることが好き」という人のためのゆるいコミュニティ「さかなの会」は参加者延べ1000人を超える。