伊賀焼、萬古(ばんこ)焼といった伝統工芸が盛んな三重県。歴史あるメーカーが新ブランドを立ち上げたり、若手作家や職人が移住したりと注目を集めています。今回は菰野町で陶器ブランド『かもしか道具店』を営む山口典宏さんをご紹介。
産地を守るために立ち上げた『かもしか道具店』
家で食卓を囲む機会が増え食器や調理道具が注目されています。陶器ブランドの『かもしか道具店』は、萬古焼の産地のひとつ、三重県の菰野町から生まれたブランド。おいしくご飯が炊けておひつにもなる鍋や、溝のないすり鉢などシンプルなデザインと使い勝手のよさが人気。中川政七商店やunicoをはじめ全国のお店で取り扱われています。
萬古焼の窯元・山口陶器の2代目、山口典宏さんが『かもしか道具店』を立ち上げたのは、8年前のこと。萬古焼の全盛期が過ぎ、窯元も減っていく、そんな状況のなかでした。
「将来的にこの町が萬古焼の産地として残っていくにはどうしたらいいか考えていました。言われたモノをつくっていただけでは先がない。しかも、時代は買い替えの時代。モノのもつ背景や思いが重要になってくる。だからこそ産地の思いを込めることができる自社ブランドが絶対に必要だと思ったんです」と、力強く語る山口さん。
この仕事を始める前はサラリーマンだったという山口さん。中学高校とラグビーに明け暮れ、就職もラグビーで誘われ地元の大手化学メーカーへ。その後、10年勤め28歳のときに家業を継ぐ決心をし、山口陶器に入りました。サラリーマンを辞めると決めたときは、親や親戚から大反対されたという当時のことを、こう話してくれました。
「ずっと継ぐ気がなかったんですよね。敷かれたレールに乗りたくないと思っていましたから(笑)。でも、会社員として働いているなかで、あれ? なんか違うな、と。ここに一生いる感じはしないなぁと思いました。父をはじめ経営者が多い環境で育ってきたからかもしれません。好きなことを仕事にしようとスポーツショップを始めるかと考えたりもしましたが、勤続10年のタイミングで、あらためてこれからの仕事について考えて、父の仕事を見たときに、あぁ俺はこれで食わしてもらっていたんだなぁと。初めて、向き合ったというか。父のつくりあげた仕事を誇りに思える仕事にしたいと思ったんです」
こだわりはただひとつ。食卓を通して幸せを届けているか
はじめ「ごはんの鍋」だけでスタートした『かもしか道具店』ですが、いまや食卓に関係するさまざまなアイテムがずらりと並びます。溝がないのに素材がすれる「すりバチ」はとても画期的だし、納豆専用の鉢や塩麹用の壺、カレーの皿などは、気のきき加減が絶妙。料理をすることやご飯を食べることが楽しくなるようなものばかりです。
「かもしか道具店のコンセプトは『食卓を通して幸せを運ぶ』。これにこだわって、商品を開発しています。デザイナーや営業担当、地元の料理研究家、職人、異業種の友人、経営者…。いろいろな人と話して、アイディアを出し、それって食卓を通して幸せを運んでる? と確認しながら。だいたいアホなことを話しているときにいいアイディアがでてくるんですよね」と山口さんは笑いながら。そして、『かもしか道具店』の今があるのは、人のつながりのおかげだと話してくれました。
直営店は田んぼの真ん中でスタート
かもしか道具店を立ち上げた3年後に始めた直営店。場所は、産地を選びました。「こんな田んぼの真ん中、本当だったらお客さんに来てもらう環境じゃないですよ」と山口さん。「でも、『かもしか道具店』がどんな土地でつくられているのか見てもらいたくて」。
目の前には大きく広がる空の下、鈴鹿山脈のセブンマウンテンがすべて見える壮観な景色。この産地を残し、次の世代につなげること。それが自分の仕事だと山口さんは言います。
「そのためにも、まずはつくった場所を感じながら使ってもらいたいんです」。
東京出店のオファーを「今じゃない」ときっぱり断りました。先にやるべきは、産地にきてもらうためのコミュニティづくりで東京はその次、と。東京へはいつ頃かの問いに「4年後ですかね」と即答した山口さん。その瞬発力は力強く、未来を確信する力がありました。
かもしか道具店
三重県三重郡菰野町川北2834-2
TEL 059-327-6555
<取材・文>西墻幸(ittoDesign)
西墻幸さん
1977年、東京生まれ。三重県桑名市在住。編集者、ライター、デザイナー。ittoDesign(イットデザイン)主宰。東京の出版社で広告業務、女性誌の編集を経てフリーランスに。2006年、夫の地元である桑名市へ移住。ライターとして活動する一方、デザイン事務所を構え、紙媒体の制作や、イベント、カフェのプロデュースも手がける。三重県北部のかわいいものやおいしいものに詳しい。