おばあのまんじゅうが村の名物に。沖縄「城まんじゅう」が人気の理由

中国の影響を色濃く受けている歴史的背景から、他県と比べ和菓子屋やまんじゅう屋が少ない沖縄で、地域活性を願ってつくったまんじゅうが大人気となったお店があります。今回は、野菜ソムリエ、アスリートフードマイスターなど食に関する資格をもつ津波真澄さんが、地域に根づく、沖縄県中部のまんじゅう屋を紹介します。

おばあちゃんのてぃーあんだ(心がこもった)まんじゅう

城まんじゅう

 2008年創業の、まだ歴史の浅いお店ながら、すっかり地域の名物となった北中城村(きたなかぐすくそん)の「城(ぐすく)まんじゅう」。村の特産「アーサ(あおさ)」を皮に練り込んだ薄緑色のものが人気です。創業者の金城睦美さんに、まんじゅうをつくり始めたきっかけを尋ねてみました。

 金城さんは沖縄市出身で、北中城村に引っ越してきたとき、村の名物はなんだろうと調べたところ、これといってなにもなかったことに驚いたそう。近所には世界遺産の中城城(なかぐすくじょう)跡があるのに、もったいない。近所のおばあちゃんがつくる有名なおまんじゅうがあってもいいのではないかと思い、まんじゅうをつくるようになりました。

 初めは白まんじゅうをつくっていたのですが、せっかくなら「村に名物はないけれど特産品はある」と教えられたアーサも使おうと考えました。ちなみに「城まんじゅう」の名前は中城城跡に由来しています。

試行錯誤を繰り返した翡翠色のまんじゅう

城まんじゅう 3個

そのアーサを中に入れるか、皮に入れるかを悩んだ末、きれいな翡翠色を見せるために、皮に入れることに決めました。しかし「こんなものがあればいいのに」と思いついて始めただけで、まんじゅうづくりに関してはまったくの素人。なかなか思うようなものができあがらず、試行錯誤を繰り返すうちに、もったいないことに材料を山ほど無駄にしてしまったのだとか。

 そして、ついにできあがったまんじゅうを持って村長に挨拶に行ったことが、運命の扉を開けたのです!

村長に持参したら、勝手に村の名物に

店

 村の特産品を使ったものができたので、まずは村長に挨拶しておこうと軽く考えていたのですが、村長はお披露目会として新聞記者を呼び、「村の名物です」と城まんじゅうを紹介しました。「まだ名物でもなんでもなかったのに、そう紹介されて勝手に名物になったんです」と笑いながら話す金城さん。

 当時は高台にある住宅地の中でつくっていましたが、噂が噂を呼び、「名物」城まんじゅうを求めて車が渋滞するようになり、近所から苦情が出たことを機に、現在店舗を構える表通りに引っ越しました。

失敗は成功のもと。翌年は人気爆発

いなり

 食べるとほっと癒される、優しい甘さのシンプルな味で、お土産としても好評の城まんじゅう。それでもなかには、家族にまんじゅうを食べない人がいて、一緒に楽しめないのが残念という声があり、新商品が生まれました。アーサ入りのいなりずしです。包装紙に描かれている絵と文字は、金城さんが描いたもの。

 この包装紙ができたのは、ある出来ごとがきっかけでした。それは、娘さんの提案で、毎年那覇市で盛大に開催される産業まつりに初めて出店したときのこと。
 当時はパッケージにまで頭が回らず、単純に陳列しただけだったので、来場者にほとんど注目されませんでした。周囲の店を見て回ると、多くの店がおしゃれで魅力的なパッケージで販売していることに気づき、とても恥ずかしい思いをしたそうです。

 帰り道、夫に包装紙をつくりたいともちかけたところ、いなりずしにそんなお金はかけられないと却下され、それなら、と自分で絵を描き包装紙を完成させました。するとその翌年の産業まつりでは人気爆発。駅弁のように見えるパッケージにひかれて、多くの来場者が手に取りました。

素人集団のアイデアが功を奏す

金城さん

 お店は家族経営で、金城さん(写真左下)をはじめ、全員がまったくの素人集団。手伝ってくれている妹さんは元エレクトーンの講師。結婚を機にお店に入った娘婿さんが唯一食品に関わってはいたものの、分野が異なる牛丼屋だったため、素人も同然です。

 しかし、そこが逆にいいところで、上司も部下もなく、なにか問題があれば皆でアイデアを出し合い、知恵を絞りながら、軌道にのせている最中なのだと金城さんは言います。「自分は種をまいたので、今後どのように花を咲かせるかは娘たちにかかっている。今は水やりの段階です」(金城さん)

いろいろな人に助けられて扉が開く人生

包装紙

 ふと頭に浮かんだ思いから、大人気店になる今日に至るまで、大変だと思ったことはなく、いろいろな人に助けられてここまで来られたと感じている金城さん。

 たとえば、新商品としていなりずしをつくったときは、お客様に試食をしてもらい、忖度のないアドバイスをもらったおかげで今の味に落ち着いたこと。まんじゅうを包む月桃の葉っぱが大量にほしいと思っていたら、知人のツテで読谷村の畑から好きなだけ使っていいと言ってもらえたこと。城まんじゅうの包装紙になにか詩を入れたいと思い、常連さんの詩人にお願いしたところ、その日のうちに考えてもってきてくれたことなど、思い返せば、いつも救いの手が差し伸べられていました。

「なにがあっても前に進んでいくしかない。物事を始めるとき、無理矢理扉をこじ開けようとしてもうまくいかないのが常。今は、思いついたことがスムーズにかたちになっていっているので、これが自分の進む道なのだと信じています」と、取材の最後に、人生の教訓にもなるような、とてもすてきな言葉が聞けました。

 勝手に名物にされたとしても、実際においしくないと続かないもの。心身が疲れたとき、ふと食べたくなる城まんじゅうは、これから先、何十年も歴史を積み重ねていくことでしょう。

<取材協力>城まんじゅう 沖縄県中頭郡北中城村仲順230 電話: 098-935-3964

津波真澄さん
広島県出身、那覇市在住。外資系企業などに勤務し、海外でも生活。10年ほど前に沖縄に移住。野菜ソムリエ上級プロ、アスリートフードマイスター1級、インナービューティープランナーほか、食に関する資格を持ち、「沖縄」「環境」「食」の知識や経験をもとに、料理教室を主催。企業やメディアからの依頼でレシピ開発やメニュー監修をするほか、通訳や講演・執筆活動も行っている。美と健康の知識を要するミセスジャパン2019世界大会で第4位(2nd Runner-up)を受賞