東京五輪で使われるはずだった幻の魚。船橋の「瞬〆スズキ」を訪ねて

千葉県はスズキの水揚げ量全国1位で、取扱量は全体の3/4を誇り、その多くは船橋漁港に水揚げされています。その船橋のブランド魚「瞬〆スズキ」は、延期となった東京オリンピックで使用されるはずでした。おさかなコーディネータのながさき一生さんが産地を取材。

「神経抜き」で鮮度を長く保てる瞬〆スズキ

船橋漁港
住宅地の中にある船橋漁港

「瞬〆スズキ」は、旬である5月~10月に水揚げされたスズキのなかから、形や色、大きさ、活きがいいものを厳選し「瞬〆」処理したもの。「瞬〆」とは、生きているうちに神経抜き処理をすること。こうすることで、鮮度を長く保つことができ、おいしく食べられる期間も通常より3倍ほど長くなるといわれます。

 船橋漁港を訪ねるため、降り立ったのは最寄りのJRの船橋駅。千葉県を代表する都市の1つということもあり、駅前にはビルや飲食店が多く立ち並びます。そこから海に向かって徒歩で20分ほど進むと次第に住宅が多くなり、その住宅街の一角に船橋漁港があります。

 対岸には、大型ショッピングセンターの「ららぽーとTOKYO-BAY」が。初めて訪れると「こんなところに漁港があったの?」と思わず口にしてしまう場所で、「産地というのは案外身近にあるのだな」ということを感じさせてくれます。

瞬〆すずき
船橋が誇るブランドすずき「瞬〆すずき」
 
 この「瞬〆スズキ」は、「千葉県ブランド水産物」や、JF全漁連が全国展開している漁師が選んだ本当においしい魚『プライドフィッシュ』にも認定されています。

「瞬〆スズキ」は、どのようにして生まれたのでしょうか。「瞬〆すずき」のブランド化に取り組む株式会社 海光物産の代表取締役である大野和彦さんにお話を伺いました。

「魚を大切に扱いたい」という思いから生まれたブランドスズキ

海光物産代表取締役 大野和彦さん(右)
海光物産代表取締役 大野和彦さん(写真右)

 2008年頃からスズキのブランド化につながる取り組みを始めたと、大野さんは語ります。

「必要以上に獲られて安く売られている魚をスーパーで見て、『これでは獲りすぎで魚がいなくなってしまう』と危機感を募らせたのがきっかけでした。今ある東京湾の水産資源を守り、未来につなげるためにも、1匹1匹を大事に扱い、きちんとした値段で売るべきだと考えています。そのようにして、魚を獲りすぎずとも事業が成り立つ努力をし、きちんと資源も守って、東京湾の恵みを未来につなげていきたいですね」

 瞬〆スズキは、味の追求はもちろんのこと、限られた資源を提供してくれる環境への配慮も行うなかで生まれたブランドスズキなのだそう。

瞬〆スズキは東京オリンピックで選手に振舞われる予定だった

 このような取組みの甲斐もあり、瞬〆スズキは環境的な基準にも厳しいとされる、東京オリンピックの選手村で振る舞われる魚として選ばれたのです。

「子どもの頃、1964年に行われた東京オリンピックを間近で見ており、それに出るのが夢でした。選手としてではなかったですが、自分が手がけている魚でオリンピックに関われるのは、本当に感無量」と大野さん。

瞬〆すずきのソテー
瞬〆すずきの料理が選手に振る舞われる予定だった

 しかし、オリンピックが延期となってしまった今、選手村で振る舞われるはずだった瞬〆スズキは、冷凍のまま在庫に。ひとまずはこの在庫をどうにかしようと奮闘している海光物産ですが、大野さんは「オリンピック用の特別な規格なので、消費者の皆様に本来届けられなかった『幻の瞬〆スズキ』を届けられる機会をいただいたとプラスに考えるようにしています」と、語られます。

瞬〆スズキが目指すオリンピック以降の未来

瞬〆すずきを提供する海光物産の皆さん
瞬〆すずきを提供する海光物産の皆さん

 今年も「瞬〆スズキ」は、漁の最盛期を迎えています。たとえ東京オリンピックで振る舞われなかったとしても、「瞬〆スズキ」に込められた思いは変わりません。「瞬〆スズキ」を手に取ると、「魚をおいしくいただいて海の恵みを未来につなげる」という思いが感じられることでしょう。これからの「瞬〆スズキ」にも注目してください。

〈取材・文 ながさき一生〉

おさかなコーディネータ・ながさき一生さん
漁師の家庭で18年間家業を手伝い、東京海洋大学を卒業。現在、同大学非常勤講師。元築地市場卸。食べる魚の専門家として全国を飛び回り、自ら主宰する「魚を食べることが好き」という人のためのゆるいコミュニティ「さかなの会」は参加者延べ1000人を超える。

●オリンピックでふるまわれるはずだった「瞬〆スズキ」