インクルージョン(包摂=さまざまな人を受け入れられる)社会を目指すとき、子どもたちへの教育は大切なカギになります。現在の教育現場の課題について、インクルージョンの研究者である野口晃菜さんにお話を聞きました。
先生たちの権利を守ることがまずは大事に
野口晃菜さんは小学校講師を経て、インクルージョン社会をつくるために、研究と実践と政策を結ぶ活動をしています。現在は、立ち上げた一般社団団体などで学校・少年院などとの共同研究や連携、企業への研修プログラム開発などに取り組む活動をしています。
「インクルージョンは、『1人1人の権利が尊重されて、尊厳が大切にされる。所属感をもてる。そういった環境をつくっていこう』ということです。学校には障害、ジェンダー、性的指向、国籍、家庭環境、など、多様な子どもたちがいます。その多様な子どもたちを含むすべての子どもたちの権利が当たり前に尊重される学校をつくることがインクルーシブ教育です。一方で、先生たちの権利は守られているか?というと、今の学校はそうなっていないと思います。先生たちが自分の権利が守られている状態ではない場所では、子どもたちに個人の尊厳の重要性を教えるとか、個人の権利が十分に守られている環境をつくる、というのはとても難しいのではないでしょうか」
たとえば、先生たちの労働環境の改善にあたっては、先生たちの精神力とか、努力だけでどうにかなる問題ではないという野口さん。インクルーシブ教育は、先生たちの「努力」だけでどうにかしましょう、ということではなく、先生たちの労働環境も含めた、学校のシステムそのものを見直していくことです。
先生たちをサポートする仕組みを考える
先生たちが「教育の質か、労働環境か」を選ばざるを得ない環境をつくるのではなく、現場の負担を減らしながら教育の質も高められる、そういう仕組みをつくっていくことはできるのでしょうか。
「自己犠牲的に子どもたちのためにがんばっている人が多いと思います。先生たち自身が、『質の高い教育のためには、こうやって労働環境を変えていく必要がある』という声をあげて、現場の先生と共に変えていくことが大切だと思います」
先生たちの負担を減らしながら教育の質も高める。そのためには、民間でできることはあるし、政策そのものを変えていく必要もあるし、教育委員会が主導でやらないといけないこともある。野口さんはいろんなやり方を模索しながら、さまざまな団体と関わりながら活動を進めています。
「たとえば、民間企業のアドバイザーとして、特別支援対象の子どもたちの個別の計画を作成するシステムの開発や導入などを進めています。これまで、子どもたちの個別の計画は、0から先生が考えなければならないものでした。けれど、初めて特別支援を担当する先生の場合、なにからどう始めたらいいのかわかりません。『努力して質の高い計画をつくって』と言われても難しいわけです。そこで、先生がヒントを得ながら、個別化された計画を作成できるようなシステムを開発しました。そのような、先生を支える仕組みをつくっていくことが大切だと思います」
多文化共生がクローズアップされているものの、社会には依然大きな分断があり、問題が山積しているようにも感じます。教育の力で、分断を変えていくことは可能でしょうか?
「教育の力で、変えていけると信じています。分断が起きる背景には、いろんな要素がありますが、知る機会がないことは大きな要因だと思うんです。子どもたちへの教育はもちろん、より特権のある立場、権力をもっている立場にいる人たちが、どうやったらD&I(ダイバーシティ&インクルージョン)の施策を進めていけるか。現在UNIVAという新しい一般社団法人を立ち上げて、特にマジョリティ性の高い人、意思決定の立場にいる人向けの研修や実践の準備をしているところです。企業の役員、官僚、政治家の方が知る機会をつくることで、変わっていく部分があるのではないかなと思っています」
もう1つの問題は、日常的に抑圧を受けている人たちの分断だと野口さん。
「抑圧を受けている人たちが別の抑圧を受けている人たちに対して『弱いものが弱いものをたたく』状況が起こってしまう。みんなが抑圧を受けているからみんなで我慢しよう、というのではなく、自分が受けている抑圧の背景にはどのような構造や歴史があるのかを知り、そこに対して連帯して声を上げていくことが大切なのではと思います。たとえば、給料が低い人が生活保護の人をたたくのではなく、そもそも給料を上げていこうよ!っていう運動の方向につなげていきたい」といいます。
そのためには教育が大切、と強調します。
「『声を上げていいんだ』という姿勢や、『声を上げたらなにかが変わった』という経験が大切だと思います。我慢をすることばかりが美化されてしまうのではなく、自分たちの声で物事は変わる、という積み重ねが必要ではないでしょうか」
マジョリティへの働きかけが大切
立場が弱い人たちだけで対立してさらに分断が進んでいく、というのではなくて、その構造自体に目を向けたい。その場合は、とくに今の社会がいかにマジョリティ中心につくられているか、ということをマジョリティの人たちが知ることが必要、と野口さんはいいます。
「いろんなマジョリティの層に働きかけることこそが、インクルージョンを実現するためのカギだと思っています。マイノリティへの支援というのは、対処療法みたいにその都度絆創膏を貼ることでしかない。現在の構造のなかでは格差はなくならないので、どうにか今をサバイブしていくために支援することも大切ですが、格差を生んでいる構造そのものに焦点を当てて、そこを変えにいく、ということを残りの人生ではやりたいと思っています」
そして、最後に再びインクルージョン教育の大切さを強調してくれました。
「お伝えしたように、大人たちへのアプローチもやっていきますが、やはり子どもの頃から、自分自身が置かれている社会の構造を知り、そのなかでの自分の立ち位置を知る機会をもつことが大切だと思うのです。未来をつくっていくのは子どもたちです。あんまり背負わせちゃだめだと思いながらも、子どもたちが未来を切り開いてくれることに対する期待もあります」
【野口晃菜さん】
一般社団法人UNIVA理事/国士舘大学非常勤講師。小6でアメリカへ渡り、障害児教育に関心を持つ。その後筑波大学にて多様な子どもが共に学ぶインクルーシブ教育について研究。小学校講師を経て、株式会社LITALICO研究所長として、学校・少年院等との共同研究や連携などに取り組み、その後一般社団法人UNIVAの立ち上げに参画、理事に就任。インクルージョン実現のために研究と実践と政策を結ぶのがライフワーク。経産省産業構造審議会教育イノベーション小委員会委員、文科省新しい時代の特別支援教育の在り方に関する有識者会議委員、日本LD学会国際委員など。共著に「発達障害のある子どもと周囲の関係性を支援する」など