山里へ移住しマタギと結婚。古代布「しな布」を守り紡ぐ現代芸術家

「しな布」は新潟県村上市山熊田の国指定伝統工芸品で、葛布、芭蕉布と並ぶ日本三大古代布の1つ。現在、絶滅危惧文化となっているこの布を都会から移り住んで守り続けている、現代美術家の大滝ジュンコさんに会いに行ってきました。

マタギの頭領へ嫁いだ現代美術家

しな布を織る大滝さん

 大滝ジュンコさんは、現代美術家・しな布作家です。埼玉県で生まれ、東北芸術工科大学で工芸を学び、全国各地でアート活動をした後、山熊田のマタギを取り巻く文化に衝撃を受けて2015年に移住しました。

 ジュンコさんの夫は、山熊田で代々受け継ぐマタギ。マタギは猟師やハンターと違い、独自の儀式や習俗をもちます。山熊田は、現在、16世帯、41人(男21/女20)の住民が住んでいて、冬になると積雪が2m以上にもなる豪雪地帯です。

 筆者が生まれた秋田県湯沢市も同じ豪雪地帯なので、冬の生活がどれほど厳しいか、よく知っているつもりです。そんな雪深い山の奥地へ、都会の女性が移り住むというのは、生半可な気持ちではないはず。ジュンコさんの覚悟が相当なものであることがわかります。

 なぜ、山熊田へ移住したのか? どんな生活をしているのか? どんな女性なのか? しな布というのはどのようにしてつくられるのか? 山熊田を訪れ、お話を伺いました。

求めていたものが、すべて山にあった

笑顔で話をする大滝さん

 そもそもジュンコさんが山熊田を知るきっかけは、なんだったのでしょう。

「もともと地域にある忘れられたものを掘り起こしたり、復活させたり、地域文化活性化のアート活動を行ってきました。そして、東日本大震災に大きなショックを受け、少しずつ、あれ? アートってこんな感じだっけ? と、違和感を無視できなくなってきた頃、マタギと飲もうと友人に誘われたのです」

 そこで赴いたのが、新潟県村上市山熊田だったそう。

「山から切り出した薪で煮炊きし、電気がなくても生きていけるたくましい暮らしのなかで、水も薬もおいしいごちそうも燃料も、工芸素材も美しい景色も、すべて山にありました。そんな山熊田で出会った、伝統的な狩猟をするマタギの頭領。それが今の夫です」

木造住宅が建ち並ぶ山熊田のメインストリート

 木造住宅が建ち並ぶ山熊田のメインストリートは趣がありますが、よく見ると二重サッシもなく、さぞ冬は寒かろうと思いきや、薪ストーブのおかげで体が芯からポカポカ暖まるとか。

「日本の多くの地域で滅びてしまった昔ながらの調和した生き方が、山熊田にはあります。そこに住むために、地域おこし協力隊として山熊田へ来たのが2015年。私が38歳のときです。学ぶのに遅すぎることはないと思いました」

 じつは、ここに来てからしな布を知ったというジュンコさん。

「しな布が廃れるということは、山が廃れることです。人間が生きていく本質とその暮らしが、山熊田にあります。日本人の誇りの塊のようなこの地に、滅んでほしくない、と強烈に思ったのです」

平安時代からつくられてきた「しな布」

しな布を手に広げる大滝さん

 しな布は、山間部に生育するシナノキの樹皮から靱皮(じんぴ・樹木の外皮のすぐ内側にある柔らかい部分)をはぎ取り、その繊維を糸にして布状に織り上げたものです。昔は衣類や穀物を入れる袋、酒・豆腐などの漉し袋、せいろの敷布など、生活用品として幅広く使われていました。

しな布の袋

 写真のしな布のずだ袋は、100年前とも200年前ともいわれるほど古くから使用されており、まったくほつれがなく、今なおこのまま使用できるほどの丈夫さを誇ります。
 平安時代に編纂された延喜式(えんぎしき)の貢物としてしな布が記されていることから、当時から織られていたと考えられます。

 麻とも違うざっくりとした手ざわりと、ノンケミカルの自然な風合いがとても粋です。朝市に日用品を買い物に来た地元女性客はみな、しな布のがま口財布を普段づかいで使っていました。とてもおしゃれです。

梅雨時の数日間しか行われない、シナノキの皮はぎ

根本から鉈(なた)で、左右に裂け目を入れる

 シナノキは生育が早く、10~15年前後で根本が直径15~20cmに成長し、しな糸に適した樹齢になります。梅雨時になると、シナノキは樹皮内に水を含み、木幹と遊離するため皮がはがしやすくなるのです。

 根本から鉈(なた)で、左右に裂け目を入れ、そのまま先端まで一直線に切れ目を入れ、樹皮を剥がします。木幹と樹皮の間には、ヌルヌルとした樹液があって、樹皮は丸まった状態でスルリと取れます。作業しているのはジュンコさんの夫です。

地面で一番外側の鬼皮を剥ぎ、ひとまとめにします。

 いちばん外側の鬼皮をはぎ、地面でひとまとめにして、束ねたまま5~7日間、乾燥させます。8月~9月に乾燥した皮を一昼夜、水につけて戻し、釜(ドラム缶)に大量の灰を入れ、繊維がやわらかくほぐれて網状の布の層が出るまで10時間以上煮続けます(灰汁抜き)。

 9月中旬、皮を漂白してやわらかくするため、ぬか漬のように漬けて乳酸発酵させてから、1~2日間漬け込みます。その後、川で洗います。洗っていると、米ぬかを食べに、オタマジャクシや魚、カニ、オシドリなどが寄ってくるそう。

 2日ほど天日で乾かし、次に風通しのいい日陰で1~2日干し。最後に乾燥した場所に保管され、農閑期まで保存します。10月~12月にしな裂きといって、3mm程度に裂いて、太さ・長さをそろえて束にし、乾燥させます。

作業しているジュンコさんのお義母さん

 11月~翌3月、硬いしなをねじってつなぎ、1本のしな糸にします。2月~3月には、しな撚(よ)り。中心から糸の始まりを取り出し、糸車(シナヨリ車)の先に取り付け、均一な糸になるように撚りをかけていきます。

 糸車(シナヨリ車)は、しな糸づくりの唯一の道具で、家紋を入れたものもあるほど大切な嫁入り道具だったそうです。そして、2月~4月にいよいよ機織(はたおり)です。

 以上、しな布の仕込みを時系列にまとめましたが、基本的に6月下旬から7月いっぱいで、一気に糸素材乾燥まで1年分を仕込みます。糸撚りや織りは、冬場の農閑期だけでなく通年おこなわれ、時間をつくって随時、しな割きや糸績みを通年やるそう。しな布ができるまで、信じられないくらいの労力と手間がかかっているのです。

 従事者の減少・高齢化、後継者の育成、デザイン性の高い新たな商品づくりなど、しな布を維持・発展するための課題はたくさんあります。しな布は、今ではとても貴重な布で日本の誇り。そしてそれらを守り育てようとしている大滝ジュンコさんも日本の誇りだと感じました。

<取材・文/脇谷美佳子>

脇谷 美佳子(わきや・みかこ)さん
東京都狛江市在住。秋田県湯沢市出身のフリーの「おばこ」ライター(おばこ=娘っこ)。二児の母。15年ほど前から、みそづくりと梅干しづくりを毎年行っている。好物は、秋田名物のハタハタのぶりっこ(たまご)、稲庭うどん、いぶりがっこ、きりたんぽ鍋、石孫のみそ。