伊賀焼、萬古(ばんこ)焼といった伝統工芸が盛んな三重県。若手作家やさまざまなジャンルの職人が移住したりと注目を集めています。今回は菰野町のバリスタ・笹浦真理さんをご紹介。
虫食いなど一粒ずつ手作業で選別したコーヒー豆
「子どもを泣かせに泣かせて焙煎した豆が、苦くて使えないこともありました」。そう言って優しく笑う焙煎師でバリスタの笹浦真理さん。
三重県の北部、鈴鹿山脈の東山麓にある菰野町(こものちょう)という小さな町で、3人の子どもを育てながら友人と2人で手まわし焙煎のコーヒーと白砂糖・乳製品・卵不使用のクッキーのお店『akaitori cookies&coffee(赤い鳥クッキーズ&コーヒー)』を営んでいます。
手まわしで行う焙煎は、自宅の一角で。コーヒー豆は無農薬のものを選んでいるため、虫食いなどの豆が混ざっており、それを一粒ずつ取り除くピッキングという作業から行います。
「無農薬の豆を使うことは、体に優しい材料でつくったクッキーに合わせるためのこだわりのひとつです。最近話題のスペシャルティコーヒーなら欠点豆の混入も少ないので、ピッキングの作業はやらなくてもいいみたいなんですけど、ひとつひとつの作業にも意味があると思ってやっています」と笹浦さん。
手間はかかるけどフェアトレードの豆を使用したい
ゆったりした空気感で丁寧に話してくれる笹浦さんですが、3歳、5歳、7歳の子育て真っ最中。焙煎を始めた当初、下の子どもはまだ授乳中だったといいます。
「朝早く布団から抜け出して焙煎機を廻し始めると、くるくるしないでーっと泣きながら起きてきて離れないことも。途中で手を止めることはできないので、片手で抱っこしたり、おんぶ紐をしながら汗だくになって焙煎していました。子どもを泣かせながらなにやってるんだろう、と思ったりもしましたね」
はじめは信頼したお店から焙煎済みの豆を卸してもらう予定だったそう。ところが急遽それができなくなり、一から仕入れ先を探すことに。
「お出しするコーヒーに責任があるので、産地はもちろんのこと、どんな環境で育ちどこの農園のものなのか、取引の方法も詳しく知りたくていろいろなところを探したのですが見つからず、すごく困ってしまって。そんな時に偶然ネットで見つけたのが、オーガニックコーヒーの生豆専門店『豆乃木』さんだったんです」
生豆を仕入れるということは、焙煎というハードルが加わること。より手がかかる大変な方を選んだのはなぜなのか、そのわけを聞くと「フェアトレードの考え方が私の背中を押してくれたんです」と意外にも骨太な答えが返ってきました。
研究者から仏像製作者へ転換
1980年、名古屋市生まれ。早稲田大学教育学部に入学し、途上国支援や貧困と差別について学んだ後、同大学院教育学研究科に進み識字障がい者の支援について研究したという笹浦さん。
「昔から不条理に対して、そわそわする感覚があるんです。貧困や差別に憤りを感じて、食べるものも住むところも選べる自分がなにもせずに平気で生きていていいのかなと。貧困が原因で満足な教育が受けられないまま大人になって、読み書きができない人たちは、働く環境も限られてしまうという現実を知ったとき、なにもせずにはいられませんでした」
大学院時代は、そんな彼らを支援する横浜市にある識字障がい者施設で支援活動に没頭した笹浦さんですが、卒業後は仏像製作の道へ進みます。
「識字障がいをテーマにした卒論を学会で、こてんぱんに論破されてしまって。研究者の道は諦めましたが、自分の活動がだれかの支えになってほしいという気持ちはずっと根底にあり、仏像づくりにつながったのだと思います」
その後、結婚し子どもを授かり、仏像製作から子育てへとシフトしていくで「3人の子どもが与えられたこの環境で学びなさいと言われている気がした」と言います。そんな笹浦さんの選んだコーヒー豆がフェアトレードであることは必然だったそう。
「豆乃木の代表の方のメッセージに、本当の支援はその国の労働を生み出すことだと書いてあり、そのためにフェアトレードでコーヒー豆を仕入れていると。この豆を選ぶことが支援につながる。だれかのため生きたいと思っている自分の生き方と共鳴できたんですよね」
大切なのは、心のあり方
焙煎機の内側についたすすを落とす作業が大変だとこぼしながら、「これも心を落ち着かせるために必要なのかもしれません。仏像をつくる前の彫刻刀を研ぐ作業と似ているから」という笹浦さん。
社会的弱者の研究から仏像製作、そして焙煎師でバリスタというキャリアに、なぜ?と思う人は多いかもしれません。でもそんな疑問を一掃するのは、「だれかの支えになりたいと思ったときに重要なことは、なにをするかではなく、どんな気持ちでするかだと思うんです」という揺らぎのない強い思い。今日も彼女の淹れたコーヒーは、だれかの心を癒しそっと勇気づけているに違いありません。
<取材・文>西墻幸(ittoDesign)
西墻幸さん
1977年、東京生まれ。三重県桑名市在住。編集者、ライター、デザイナー。ittoDesign(イットデザイン)主宰。東京の出版社で広告業務、女性誌の編集を経てフリーランスに。2006年、夫の地元である桑名市へ移住。ライターとして活動する一方、デザイン事務所を構え、紙媒体の制作や、イベント、カフェのプロデュースも手がける。三重県北部のかわいいものやおいしいものに詳しい。