新潟の静かな漁村、筒石(つついし)には、昔ながらの風習が残っているそう。漁師の家で行われる、船のお正月「船玉祭」もそんな伝統文化のひとつ。この地で生まれ育った、おさかなコーディネータのながさき一生さんが紹介してくれました。
これほどまでに昔の漁村の文化が残っている地域はない
昔ながらの漁村が、今、密かな注目を集めています。新潟県糸魚川市にある「筒石」という世帯数200あまりの集落には、木造3階建ての家屋がずらっと並んだ風景が広がっています。
全国の旅番組、珍しい景色を取り上げる番組や、ドラマのロケ地などとして取り上げられるこの地域には、景色だけでなく、行事や風習などの文化の面でも昔ながらのものが残っています。それは、全国の漁村を旅しているという男性が訪れた際に「これほどまでに昔の漁村の文化が残っている地域はない。」と表現するほど。
そして、何を隠そう筒石は私の生まれ育った故郷でもあります。今回は、令和の時代を迎えた筒石の今と1月に行われる漁師の家のお正月「船玉祭」についてお伝えします。
電車で筒石集落に向かう際には、越後トキめき鉄道の「筒石駅」で下車をします。筒石駅は全国でも珍しいトンネルの中にある駅で、ホームに向かうまでに300段弱の階段を昇ります。そして、地上に出ると、あたりは山、山、山という漁村とは到底思えない景色が広がります。
そこから10分程坂を下って山を降りると、海が見えてきて筒石漁港が見下ろせます。
筒石の中心部「筒石漁港」と船小屋
昔から漁業が盛んな筒石地区にとって、筒石漁港はその中心部といってもいい場所です。ここでは小型船による底曳網漁が盛んで、出漁した日の筒石漁港の荷捌き場には新鮮な多種多様な魚が並び、集落の人々は総出で魚の選別や出荷をしています。
そして、筒石漁港の特徴の1つともいえるのが船小屋です。筒石漁港の脇にある船揚場には木造の小屋が立っており、独特の景色が広がります。
さらに、「哺木の間(ほうきのま)」と呼ばれる場所には、古い船小屋が立ち並んでいます。普段ひと気がほとんどないこちらの船小屋も、サブ的な船揚場や漁具の倉庫として現役ですが、このことはほとんど知られていません。
筒石の集落で木造3階建てが立ち並ぶ理由ですが、筒石は海と山に挟まれており、狭いところに人々が生活しています。上だけなく地下もある家が大半で、狭い土地を有効に活用する知恵が生かされているからなのです。
また、雪国でもあるこの地域では、雪をしのぎ、冬場でも作業が行えるように船小屋が建てられたと考えられます。
そして、ほかの地域が観光などの産業にも乗り出して街の様子が変わっていく中、今でも筒石の主要産業は純粋な漁業。これには、集落の人が自ら言う「俺たちは職人気質だから」という地域気質が関係しているように思います。
このような筒石には独特の行事や風習があり、毎年1月11日に行われる「船玉祭」もその1つです。
筒石にはお正月が2回ある
筒石の漁師の家庭で「船のお正月」と呼ばれる「船玉祭」は、1年の海上安全と大漁を祈願する行事です。船に正月飾りをしてお参りし、船の関係者で集まっておせち料理をいただくなどします。前日には、年越しそばを食べるなど大晦日さながらの過ごし方もするため、お正月が2回来たかのようです。
そして、船玉祭の早朝には、筒石地区の水嶋礒部神社にて、寒中みそぎが行われます。前日に汲み上げた海水を全身にかぶってお参りをする行事は、比較的最近行なわれるようになったもの。見るからに寒そうですが、極寒の中で漁をする漁師ですら我慢がならないというくらい、身も心も引き締まる冷たさです。
令和最初の船玉祭を迎える筒石。その景色とともに文化や人の温かさは、令和の世に移り変わったとしても残っていってほしいものです。
<取材・文/ながさき一生>
おさかなコーディネータ・ながさき一生さん
漁師の家庭で18年間家業を手伝い、東京海洋大学を卒業。元築地市場卸。食べる魚の専門家として全国を飛び回り、自ら主宰する「魚を食べることが好き」という人のためのゆるいコミュニティ「さかなの会」は参加者延べ1000人を超える。