「1本のパンツがきっかけ」北海道に移住した夫婦が起業した訳

北海道に移住して、当初は専業主婦だった瀬野祥子さん。最初は田舎暮らしを楽しんでいましたが、見知らぬ土地で子どもと向き合う生活にストレスを感じることも。そんなとき、夫が買ってきた1本のパンツをきっかけに、夫婦で起業することを思い立ちました。

「働きたい」という気持ちを後押ししてくれた夫と町の支援制度

山積みになった木材

 引っ越した当初、主人は林業の仕事に就き、毎日朝から晩まで山で仕事をしていました。私は働きには出ず、当時0歳と1歳だった年子の子どもたちと毎日過ごしていたのです。

 引っ越してきて最初の1年はなにもかもが新鮮で、畑に野菜を植えたり、ソフトクリームを食べ歩いたり、各地の温泉に出かけたりと、十勝での生活を満喫。夫は、デスクワークから力仕事に変わり、あっという間に10kg以上やせ、日々黒くたくましくなっていきました。

 家ではほとんどぐちや弱音を言いませんでしたが、壊れてすぐに買い替える長靴や足袋、ボロボロの作業着を洗濯していると、その大変さが伝わってきました。寝不足だったり体調が悪いなかで仕事をすれば、大けがにもつながるような仕事だったので、子どもたちと一緒に早く寝て、休みの日は疲れてほとんど寝ていることもありました。

 そんな日々を過ごしながら、下の子が1歳になった頃から、自分もなにか少しでも仕事がしたいと考えるようになりました。夫1人にすべての収入の負荷をかけるより、少しでも自分も生活のたしになるようなことをしたいと言えば聞こえがいいですが、本音は自分も社会に戻りたいという思いが強かったのだと思います。

野菜畑の子どもたち

 子どもはもちろんかわいく、毎日成長していく姿を見れることはとても幸せですが、専業主婦になってみて、自分が社会に取り残されていく感覚になることがありました。自分の思いどおりに行動することのできない歯がゆさや、対等に会話することができない子どもと向き合う日々。知らぬ間にストレスもたまり、疲れて帰ってきた夫に吐き出してしまいケンカになることもしばしば。自分が想像していた専業主婦のイメージとは違ったものがありました。

 働きに出てみたいと口に出すようになると、周りからはいろいろな意見をいただきました。今しかこんな一緒にいられる時期はないんだからとか、子どもにとっていちばん幸せなことはママといることとか。

 産休でもないのに、子どもを預けてパートにでることへの罪悪感を感じ、悩んでもいました。

 ただ、夫は賛成してくれました。おそらく、少しでも私のストレスが減ればという思いもあったと思うのですが、移住してくると、知り合いや親もいない。そんななかで新しい仲間と出会うことも大切だと思ってくれたのかもしれません。

 上士幌町の「こども園の保育料無料」と「待機児童なし」という政策も後押しになりました。東京にいた頃は、フルタイムで働いていないと子どもを預けることも難しかったので、パートに出てみたいという思いは簡単に諦めることができましたが、上士幌町は短時間保育園型もあり、給食も毎日無料で提供されます。そうして上の子が3歳になったのを機に、私は朝9時から昼の3時まで週4日でコンビニでパートを始めました。

1本のパンツが起業のきっかけに

丈夫に縫われたパンツ

 仕事を始めて半年たった頃、ある先輩のズボンの上に履く作業パンツの素材がカッコいいという話になりました。夫がその先輩に聞くと、町内のチェンソー屋さんで買ったそう。私も見てみたいと話すと、夫は早速次の日そのパンツを購入してきました。

 枝に引っかかったり、激しい動きも多い林業は、ナイロン素材のパンツだとすぐ破れてしまうのに対して、そのパンツの素材はなかなか破けることがない強い素材を使用。そして、どんなミシンで縫っているのだろうと思うくらい太いステッチで縫われていました。

工業用ミシン

 その夜、2人でパンツを見ながら、夫はこんな素材でサコッシュをつくってみたいと言いました。子どもたちと外に遊びに行くとき、ポケットだけではたりないけど、そんなにかさばらなくて、両手が空くバックがほしいと感じることが多く、分厚い上着の外ではなく、中につけられるような、そんな本当に気軽なものがほしいと。

 移住して1年半、慣れない仕事に子育てにと、あっという間に過ぎていった日々のなか、服飾の専門学校の同級生だった私たちは、久しぶりに素材や服の話で盛り上がりました。今、私達は日中は働いているけど、夜や休みの日を使ってそんな今の自分たちが欲しいアイテムや服をつくることはできないだろうか。

 生活が変われば服もほしいアイテムも変わってきます。今、自分たちがこの場所でこんな生活をしているからこそ、ほしいと思えるアイテムをつくってみたい。気がつけば私たちは試作品をつくり始めていました。そして、このパンツをつくっているところが、車で1時間ほどの陸別町にあると知り、どうにか紹介してもらえないか頼むことにしたのです。

さまざまなアイテムの試作品づくりから起業へ

サコッシュ

 夫が、パンツをつくっている人に会いたいと話すと、上士幌のチェンソー屋さんはそのお店に連絡して、訪問する機会をつくってくれました。そして夫はすぐに、そのお店、本田商店へ向かったのです。帰ってきた夫は、興奮しており、ミシンや生地、山仕事やテントに使う素材やパーツの写真を見せながら、そのカッコよさを力説してくれました。
 
 本田商店は、陸別町で三代続くテント屋さんでした。2回目はつくった試作品を持って、2人で会いに行きました。初めてお会いする本田さんは、私たちが想像していた頑固な職人さんというイメージを裏切るとても物腰の柔らかい方で、考え方も柔軟。新しいことにもどんどん挑戦し、陸別町のお土産「しばれ君つららちゃんまんじゅう」まで製造販売している方でした。

厚手のパンツ

 パンツの話をすると、使用している生地やパーツ、道具を丁寧に説明してくださり、私たちの、この生地を使ってこんな鞄をつくりたいという唐突な話も真剣に聞いてくれました。それどころか、おもしろいねと言って、早速制作に取りかかってくれたのです。

 こうして、ひょんなことから本田さんと出会った私たちは、それをきっかけに、ゴムで伸びるベルトや、キャンプで一晩中履いていても疲れないチノパンツなど、夫が今、こんなアイテムがあったらいいのにというものをつくるようになりました。

 今振り返ると、このきっかけが起業を考え始めた第一歩でした。

 本田さんとの付き合いはこのときをきっかけに始まり、今ではデザインのお仕事をいただくこともあります。仕事だけではなく、事業を立ち上げた後もずっと応援してくださり、悩んだときはいつも大切なことを忘れないよう、おもしろおかしい会話のなかでさりげなく導いてくれます。

 小さい町で事業を始めるとき、なによりも大切なことは、誠実にひとつひとつの仕事ときちんと向き合うこと。そんな仕事は少しづつでも必ず人に伝わっていくからと。

 そんな恩人との出会いが私たちの事業立ち上げのきっかけでした。まだこの頃は、起業など意識せず、熱意だけで行動していましたが、その3、4か月後に夫は林業を辞め、私たちは起業します。

<取材・文/瀬野祥子(ワンズプロダクツ)>

瀬野祥子さん
2016年に北海道上士幌町に家族で移住。現地でさまざまな仕事を経験し、夫と一緒にデザイン会社「ワンズプロダクツ」を起業、地域のニーズに応えている。