伊賀焼、萬古(ばんこ)焼といった伝統工芸が盛んな三重県。歴史あるメーカーが新ブランドを立ち上げたり、若手作家が移住していることから、工芸品・雑貨好きから注目を集めています。そのなかから、今回は伊勢型紙職人の那須恵子さんをご紹介。
1000年続く伝統工芸、伊勢型紙
針のように細く尖った小刀を、まっすぐに突き刺して彫り、また突き刺して彫る。ひとつの型紙を完成させるのに、細かな柄だとおよそ2か月かかるという伊勢型紙。そもそも着物の江戸小紋や京友禅などの文様を型染めする際に用いる型紙で、1000年以上の歴史がある伝統工芸用具です。三重県鈴鹿市の白子と寺家という限られた地区だけで伝承されてきました。
江戸時代に武士の裃(かみしも)に型染めが用いられたことで発展したと言われる伊勢型紙。時代の流れとともに浮き沈みを繰り返し、高度成長期の昭和40年代にピークを迎えると、その後型紙の需要は減っていきました。
希望職種は「伝統工芸」。身ひとつで飛び込んだ世界
今やなんでも緻密にプリントできる時代。ピーク時は300人もいた型紙職人も、現在では30人も満たないとか。そんな先細りの伝統工芸となっていた伊勢型紙の世界に、身ひとつで飛び込んだのが那須恵子さんでした。
1982年岐阜県生まれ。幼い頃から絵を描くのが好きで、工業高校に進みデザインを学び、地元の印刷会社へ就職。イラストを描いてデザインを任され、充実した日々だったといいます。「ただ、タイムカードで作業を区切られてしまうのが惜しくて。没頭している自分の気持ちを止められたくないと思っていました」。
8年勤めた会社をやめ、ハローワークで希望の職種欄に「伝統工芸」と記入したのは「だれにも邪魔されず1人で黙々と取り組めて定年がない職業」という発想からだったそうです。
あいにく、ハローワークでは見つからず、インターネットや図書館に通い自力で調べ、京都や東京の伝統工芸を扱っているお店や工房へ足を運んだといいます。門前払いされることも多かったそうですが、収穫もありました。
「押絵羽子板や千代紙などいろいろな伝統工芸品を見ているうちに、自分がやりたいものが見えてきました。紙は好きな素材でしたが、グラフィカルななにかがないとひかれない。私は模様が好きだなぁとあらためて感じたのです」。
親方の気が変わらないうちに鈴鹿に移住
そして行き着いたのが伊勢型紙。若手を育てても先がない、と最初は相手にしてもらえなかった那須さんですが、「伊勢型紙を彫りたい」という強い情熱をぶつけ続けた結果、この道50年となる伊勢型紙職人の生田嘉範さんが受け入れてくれました。
那須さんは、「(生田さんの)気が変わらないうちに」と、すぐに岐阜から鈴鹿に移住。念願の職人への道が開けたことに、「とにかくうれしかった。毎日、自転車をすっ飛ばして親方の家に意気揚々と通っていました」と当時を思い出しながら話してくれました。
5年間修行し独立した後も、親方である生田さんと机を並べて彫り続ける日々。今年で11年目となる那須さんに、伊勢型紙の難しさを聞いてみました。
「やっぱり、細かい柄は難しいですね。姿勢を固定して、型紙にまっすぐ刃物を入れ、指先の感覚だけで彫っていきます。ものすごく神経を使うので、休憩を取りながらその感覚を忘れないうちに彫り進めます」。
そして、常に練習中だというのが、刃物づくり。刃物を研いで1日が終わることもあるそうです。
「刃の先端が幅1mmにも満たない小刀を垂直に突くように彫る『突き彫り』は、刃の形や厚み、そして切れ味で型紙の仕上がりが左右されます。親方の小刀をまねて研いでいるはずなのに、使いやすさが全然違う。まだまだ、教えてもらいたことがたくさんありますね」。
すべての活動は伊勢型紙を残すため
伊勢型紙の普及活動を積極的に行なっている那須さんですが「できることならずっと型紙だけを彫っていたいですよ」と本音をぽろり。
「伊勢型紙は、あくまで染色の道具。一般の人に知られることなく、裏方として染め師さんを支えているものです。でも、今は彫らなくてもプリントすれば、型染め風の着物ができてしまう時代。伊勢型紙を残していくためには、もっと多くの人に存在を知ってもらい、職人が彫り抜いてつくった型紙で染めた着物と、プリントした着物では、味わいが違うということをわかってもらいたい」。
型紙のデザインやワークショップ、体験キットを自らつくり販売するのは、そんな思いから。「すべて、本来の伊勢型紙を残すためにやっていることです。私の仕事は、すべてそこにつながっているという自負があります」。
思いは揺らぐことなく貫き、やるべきことは淡々と。机に向かい一心に彫る姿から、那須さんが伊勢型紙に巡り合った必然を感じました。
那須恵子さん
1982年岐阜県生まれ。印刷会社勤務を経て、2010年から伊勢型紙の突彫り職人である生田嘉範氏に師事。2016年、伊勢型紙彫刻組合に加入。工房内独立。2018年、LEXUS NEW TAKUMI PROJECT2018三重代表に選出される。2018年度版、2021年度版三重県民手帳のデザインと型紙制作を担当。三重県を中心に活動している伝統工芸を担う若手グループ「常若」、東海三県若手女性グループ「凛九」所属。
<取材・文>西墻幸(ittoDesign)
西墻幸さん
1977年、東京生まれ。三重県桑名市在住。編集者、ライター、デザイナー。ittoDesign(イットデザイン)主宰。東京の出版社で広告業務、女性誌の編集を経てフリーランスに。2006年、夫の地元である桑名市へ移住。ライターとして活動する一方、デザイン事務所を構え、紙媒体の制作や、イベント、カフェのプロデュースも手がける。三重県北部のかわいいものやおいしいものに詳しい。