広島県呉市は、かつて軍港で栄え、戦後はものづくりのまちとして広島県の産業を牽引してきた港町。自衛隊関連のミュージアムや、瀬戸内の島々を結ぶ「とびしま海道」など観光も充実し、島への移住も人気です。今回、地域おこし協力隊として、2020年に移住した前中詩織さんにお話を聞きました。
自治会長の人柄にひかれて倉橋島を移住先に
広島県呉市の倉橋島は、県の最南端に位置し、マリンスポーツ、トレッキングなどアウトドアアクティビティが充実した島です。市内中心部から車で30分の桂浜は日本の渚100選に選ばれた穏やかなビーチ。その桂浜を前にした倉橋市民センターで、前中詩織さんは倉橋町地域おこし協力隊として働いています。
前中さんは兵庫県出身。移住前は大阪や兵庫でデザインやガラス工芸の仕事をしていました。関西での生活は、アウトドアを楽しむ機会も少なく、ご近所付き合いなども希薄で、ものたりなさを感じていたそうです。
「もともとは戦艦大和や海上自衛隊の船が好きで呉市に興味を持ちました。観光で訪れて、いつか住んでみたいな~と思ったのがきっかけです。移住フェアに参加した際、呉市は複数の地域で募集をしていましたが、倉橋町の自治会長さん(80代)が楽しい人で!」
自治会長さんの人柄にひかれ、倉橋に移住地に選んだ前中さん。実際に住んでみて感じたことは人とのつながりだったそう。
「地域の人とのコミュニケーションが濃厚です。一人暮らしなので、すごく親切にしてもらっていて、野菜が部屋の前に置かれていたり、郵便ポストに鯛が入っていたことも(笑)。呉市は水産物のカキの生産量が日本一なので、いただいたりもしますし、安いので気軽に食べています。新鮮なカキをレンジで加熱して食べる『カキのレンチン』は呉あるあるだそうです。ぜいたくですよね」
充実した呉の島暮らし。プライベートはアウトドア三昧
それまでアウトドアに縁がなかった前中さん。倉橋での生活で、プライベートの過ごし方も大きく変わったそうです。
「兵庫で住んでいた町には海がなかったので、海で遊ぶことはなく、山はあったけれど登ることはなかったです。それが倉橋では、山頂まで1、2時間の倉橋火山(ひやま)のトレッキングをやったり、海ではサップをやったり。今、サップインスタラクターの資格を取っている最中です。瀬戸内は波が穏やかなので、サップは人気ですし楽しいですよ!」
充実している倉橋での移住生活。暮らしてみて不便に感じること、現在のお仕事や今後のこともうかがいました。
「最初は呉弁に戸惑いました。好きな歌手が広島弁だったり、呉が舞台のアニメ映画を何度も観ていたので、ある程度は方言になじみがあるつもりでしたが、日常的によく使われている『たちまち』(『すぐに』『とりあえず』の意)という言葉や、呉独特の言い回しがあり驚くことも。あと、周囲の人に心配され過ぎています(笑)。車がないと『前中さんがおらん』って。不便はないですね。すごい田舎ではないので、車があればスーパーで買い物もできますし、呉市の中心地もすぐですし」
現在の仕事は、グラフィックデザイナーだった経験をいかして、倉橋のマップやパンフレット、大きな看板、呉市の地域おこし協力隊の広報パンフレットなども制作しています。
地元の名産品をモチーフに「太刀魚マフラー」も考案
プライベートではグッズ(非売品)も制作。それらの作品はアクセサリーや帽子、マフラーなど、呉市の名産品をモチーフにしたユニークなものばかり。呉市のイベントなどに置いてもらいPR素材として役立ててもらっているそう。
「太刀魚のマフラーは反響が高く、売ってほしいという声を多くいただきました。ほか、倉橋島名物の音戸ちりめん(じゃこ)や、安浦特産のイチジク、瀬戸内ヒジキなどをモチーフにした作品も。呉市の島々の町と名産品をシミの形で表現したハンドタオル(『豊町のミカンジュースこぼしちゃった』ほか)もかわいいと喜んでもらっていますね。これからも、呉市をモチーフに遊び心のある作品をもっとつくろうと思っています」
来年で地域おこし協力隊を卒業する前中さんは、そのまま倉橋島で暮らすことを決めています。すでに2階建ての住居も決めてあり、1階はアトリエにする予定で、自分だけでなく地域の方や旅行者、子どもたちなどがものづくりを楽しめる場所にしたいそうです。
海も山も楽しめる呉市での暮らし。詳しい移住情報は呉市ホームページ「定住サポートセンター」でご確認ください。
前中詩織さん
兵庫県出身。広島県最南端の島、呉市倉橋町地域おこし協力隊。大阪でグラフィックデザイナー、兵庫ではガラス工場で商品を製造。イラストを描いたり、モノづくりが得意。あたたかい島の人たちや、すてきな風景がたくさんある倉橋町を、自分の得意分野を上手に使って楽しく発信している。
取材協力/広島県呉市
撮影/林紘輝、取材・文/カラふる編集部