大名行列が島を練り歩く。呉市倉橋島「音戸清盛祭」6年ぶりに開催

広島県呉市の倉橋島へ地域おこし協力隊として移住した前中詩織さん。2023年3月に3年間の任期を終え、そのまま定住することに。山と海に囲まれた自然豊かな島での移住生活や、古民家の改装作業のお話などをお伝えします。今回は6年ぶりに開催された「音戸清盛祭」をレポート。

念仏踊りから始まった大名行列「音戸清盛祭」

大名行列
第二音戸大橋の下を通る清盛祭の大名行列

「よ~ぉぉぉお!」というかけ声とともに、毛鑓(けやり)が宙を舞う迫力ある風景。それは広島県呉市に浮かぶ島、倉橋島の音戸町で5年に一度行われている「音戸清盛祭」の大名行列での花形「投奴(なげやっこ)」の様子です。

 この大名行列は総勢400人近くで行われ、島と本土をつなぐ第二音戸大橋、音戸大橋の大きな2本の橋の下をくぐり、その先の音戸市民センターまでの約1.5kmの道のりをゆっくりと時間をかけて進みます。

 安政5(1858)年から始まった歴史あるお祭りで、音戸の瀬戸を切り開いたとされる平清盛公の功績をしのぶために、月明かりの下、太鼓の合わせ踊り明かした「念仏踊り」が始まりとされていて、それが世が移り変わるうち、いつしか百万石の格式を誇る大名行列になっていったそうです。

 本来は昨年開催されるはずでしたが、新型コロナウイルス禍の影響で一年延期になり、今年6年ぶりに開催されました。

侍衣装で大名行列に参加

侍行列
本格的な衣装を着せてもらい侍に変身

 島内には倉橋町と音戸町があり、私は倉橋町に住んでいますが、同じ島内のお祭りなので、せっかくなら一度経験しておきたい! と思い、友人を誘って参加する流れになりました。5年に一度で、かつ大名行列なんてなかなか体験できないことですからね…!

 当日は朝早くに市民センターに集合して衣装を合わせます。侍の衣装は当然初めてなので、「どうやって着るの?」とワタワタ。着つけ担当のお姉さんに聞きながら、侍役同士でがんばって着つけると、不思議と女性でも似合う衣装でした。

 肝心の私の行列でのお役目は刀筒(かなたつつ)。刀筒とは、名前のとおり刀の入った筒を持つ侍の役です。といっても中にはなにも入っていないので、思ったより軽く、そして、変わった形をした筒なので、道ゆく人に幾度か「鉄砲かなにかですか?」と聞かれました。確かに、知らなければそう思うかも。

お殿様
行列には馬に乗ったお殿様のほか、お姫様も

 大名行列の演者さんの役は、77にも分けられていました。投奴のような力強いパフォーマンスをしながら進んでいく役や、私のように道具を持って歩く役、「上下(じょうげ)」と呼ばれる、各地区から出される華やかな御輿を唄いながら担ぐ人たち。

 ほかにも、白塗りで、その出で立ちや芸で笑いを誘うお医者さんなどなど、ひとつひとつが個性的で、見るだけでもとてもおもしろかったです。本当の大名行列もこんな感じだったのでしょうか?

 初めて見るものばかりでしたが、かっこよくて、血がざわざわする感じがしました。これが祭りで血が騒ぐってやつですね。

 適度に酔いが回っている方もいて、これぞ久々のお祭り騒ぎ! だとワクワクしました。地元の人に言わせると、「こういうときは飲むのが仕事よ!」だそうです(笑)

フィナーレの後にはもちまきも開催

餅まき
お祭りの最後は恒例の餅まき

 10時から始まった大名行列は、15時前にフィナーレを迎え、そしてみんなお待ちかねの「もちまき」へ。私の地元も祭りの最後にもちをまきますが、倉橋島も祭りの際にはもちまきをするそうです。もちまきはどこでやっても盛り上がっていいですね。

 閉会の挨拶がすむと、一斉にまかれるもちやお菓子! 上からだけじゃなくて後ろや横からも飛んできました!

 大量に飛んでくるので、中にはビニール袋いっぱいに抱えている人も(私も10個くらいいただいちゃいました)。最近はコロナの関係でイベントがあってももちは投げずに配布することが多かったので、こちらも久々に体験できてテンションのあがるひとときでした。

 今年の清盛祭は大盛況で終わりましたが、今はだんだん参加する人が少なくなってきたなど、いろいろな理由でお祭りをするのが難しくなっているところもあると聞きます。自分が参加することで貢献できるなら、今後も参加できるお祭りはしていきたい、と思うきっかけになりました。

<取材・文・写真/前中詩織>

前中詩織さん
兵庫県出身。広島県最南端の島、呉市倉橋町の元地域おこし協力隊。大阪でグラフィックデザイナー、兵庫ではガラス工場で商品を製造。地域おこし協力隊を退任した後も島に住み、イラストやモノづくりといった得意分野を生かし、倉橋町の魅力を楽しく発信している。