30歳を目前に「海沿いに住みたい!」「一軒家でのんびり暮らしたい!」と考え、岡山県笠岡市へ地域おこし協力隊として移住した女性が日々の暮らしや岡山県の魅力をご紹介。今回は、2024年1月に東京から移住、玉野市初の地域おこし協力隊員として活動する女性をレポート。
ふるさとコンプレックスの彼女が、岡山県に出会うまで
金子美穂さんは現在、岡山県玉野市で地域おこし協力隊として活動している、笑顔がすてきでパワフルな女性です。そんな彼女は幼少期、両親が転勤族だったこともあり全国各地で転々としました。特定の故郷がないことを、ある種のコンプレックスに感じていたのだそう。
大学進学を機に埼玉県へ。その後関東圏内で生活を送っていましたが、幼少期の経験から「いつか自分の特定の居場所を見つけたい」と移住に目を向けるようになりました。
転機になったのは、30歳を超えた頃。当時勤めていた会社を退職し「行きたい場所すべてに行ってみよう!」と旅をすることに。
「全国各地に足を運びましたが、広島県と岡山県を訪れた際に、なんとなくここに住みたいなと直感的に思いました。また、生まれて初めて瀬戸内海を見たときに、ひと目ぼれに近いなにかを感じたんです」
当時を振り返って金子さんは話します。その後、瀬戸内海には定期的に遊びに行くようになりました。
「移住したい」から東京で岡山県移住相談員に転職
瀬戸内海沿いの町によく遊びに行くようになった金子さん。ある日、都内の通勤電車で「移住フェア」の広告を目にし、倉敷市の移住体験ツアーに参加しました。それをきっかけに、岡山県各地の移住ツアーにも参加するように。岡山県に行くたびに「やっぱり私の帰る場所はここだな」と感じるようになっていったのだそうです。
その後、金子さんは当時の仕事を退職し、東京都有楽町にある「ふるさと回帰支援センター」で働くことに。ここでは、全国44の都道府県1政令市の移住相談員がおり、首都圏に住む人の移住サポートを行なっています。金子さんは岡山県の移住相談員として勤務しました。
コロナ禍で地方での子育てに目を向け始めた人、テレワークができるようになり、ロケーションのいい場所で働きたい人、自給自足したい人、など移住相談に訪れる人はさまざま。金子さんはそんな人たちとマンツーマンで、移住先に求める優先順位を聞き出し、場所とのミスマッチがないように丁寧に一人ひとりの相談に乗り、移住へとつなげてきました。
また自身もアドバイザー研修を受けるなど、岡山県内に実際に赴き、各市町村の情報収集や人脈づくりも行っていました。
玉野市へ、地域おこし協力隊員として移住を決意
ふるさと回帰支援センターで働き出して1年後、2020年に岡山県玉野市から視察の依頼があり金子さんは現地へ足を運びます。現地では玉野市役所の職員や、移住支援団体「うのずくり」のスタッフが玉野市内を案内してくれました。道中のおしゃべりもはずみ意気投合! コロナ禍が明けたばかりの時期でしたが、東京から来た自分を嫌がる人もおらず、なんとなく心地よさを感じたのです。
「人もよかったのに加え、移住支援団体うのずくりさんの活動内容を聞いて、これまで自分が移住をしてなにをしたいのかわからなかったのですが『移住者を受け入れたり定住後の継続した支援サポートを行いたい』と気づくことができました」
これをきっかけに、半年に1回のペースで玉野市に仕事以外でも遊びに行くように。そんななか訪れた転機が、2023年にスタートした玉野市初の地域おこし協力隊員の募集です。募集要項は、移住定住の情報発信、それら業務をやったことがある人、というのを知り、まさに自分だ!と思ったそう。
また、自分が移住に求める条件を再度考えたときに出た答えは「自分がやりたい仕事をやること。相手も自分を必要としてくれること」でした。玉野市の人となら大丈夫! と決意し、協力隊に応募、見事合格を果たし、2024年1月から玉野市初の地域おこし協力隊として着任しています。
移住して約1か月。今後の展望
金子さんの現在の玉野市での活動は、主にSNS発信や移住相談、個別案内、空き家の開拓の補佐などです。今後は、都心部を中心に外部へ玉野市のアピールや、「協力隊ってなにをしているの?」と疑問をもつ玉野市民へ向けた情報発信などを展開していく予定なのだそう。
「いろんな方と話をしているとやりたいことがたくさん出てきます!」という金子さん。移住してひと月ほど経ちますが、家から徒歩10分で海に行けることに毎日感動するのだそう。なんの意味もなく海辺をぶらぶらしたり、写真を撮ったり。満員電車に揺られていた都心部と180度違う生活を楽しんでいます。
また、玉野市はエリアごとに特色がある町です。金子さんの住むエリアは住宅地で人も多く、コンビニも徒歩圏内。一方港町があったり、里山エリアがあったり、場所によって違った景色を楽しめるのも魅力。
町にはコワーキングスペースがあったり、図書館にもwi-fiが設備されていたりなど、仕事ができる場所も多く不便を感じることはほとんどないのだそう。
移住していちばん驚いたことは、見ず知らずの方にも声をかけられること。広報誌に顔写真が掲載されたことがあり「協力隊の金子さんですか? 写真一緒に撮ってください!」と話しかけられるのだとか。
「人によってはそれが大変かもしれませんが、私は協力隊としてのメリットだと思っています。外に出かけるときは必ずお化粧をしなきゃいけないと思いました」とお茶目に笑っていました。
全国各地に足を運び自身の帰る場所を玉野市に見つけた金子さん。移住相談員としてのキャリアや人脈、そして玉野市への愛を武器にどのような活動をこれから行っていくのか、金子さんのサポートでどのような方が玉野に移住するのか、今後がとても楽しみです。
<取材・文> mamiko
mamiko
栃木県茂木町出身。大学時代は京都で暮らした後、大阪の老舗ヴィンテージショップにて販売員に。30歳を目前に、岡山県笠岡市へ地域おこし協力隊として移住。ブログやSNS等で笠岡市の情報発信をしたり、地域交流イベントを開いたりなど、さまざまな活動を行っている。