天塩町で漁船の進水祝い。船からお菓子やもちをまいて地元の人と祝福

北海道札幌市で生まれ石狩市で育ち、東京や中国・天津市でもさまざまなキャリアを積んだ後、2021年の暮れに北海道天塩町へ移住。現在は地域おこし協力隊として活動する三國秀美さんが、日々の暮らしを発信します。今回はめったに見ることのない新しい漁船の進水祝いをレポート。

大漁旗が舞う、お祭りのような進水祝い

天塩港の第三鮭漁丸
天塩港でのお披露目。白い船体と大漁旗で高揚感に包まれる

 子どもたちが夏休みに入った最初の日曜日。テレビやラジオではパリ2024オリンピックの放送が始まり、早くも寝不足気味になりました。そんななか、地元住民から「新しい漁船の進水祝いがあるのだけど、一緒に行きませんか?」とお誘いを受けて向かった港では、目の覚めるようなお祭りが待っていました。

第三鮭漁丸の大漁旗
風にたなびく大漁旗は、漁から帰港する際に大漁を知らせるために掲げる

 こいのぼりよりも派手な大漁旗は、その名のとおり大漁を知らせる信号で、目立つほどにおめでたいとのこと。関係者からのご祝儀であり、古くから伝わる伝統です。

 町内にある天塩川歴史資料館には古い大漁旗が飾られているのですが、それが天塩町を繁栄へと導いた漁業の貴重な資料ということを今回初めて知りました。とくに明治から大正年代にかけて、春のニシンと秋の鮭はかなりの漁場景気をもたらしたようです。当時のモノクロ写真では大漁旗の色まではわかりませんが、さぞかし派手だったことでしょう。

菓子まきから始まる進水祝いのふるまい

菓子巻きに集まる子どもたち
第一弾、子どもたちへの菓子まきが始まる

 北るもい漁業協同組合天塩支所の関係者が見守るなか、まずは子どもたちのために菓子まきが始まりました。このために進水祝いを日曜日に設定したようです。町内でイベントを知った家族が集まり、すぐに漁船のまわりは子どもたちの歓声に包まれました。

 菓子まきを見るのは初めて。たくさんのお菓子が入った袋が次から次へと子どもたちに向けて飛んでいきます。菓子まきから始まる進水祝いの盛り上がりは港町ならではの光景ですが、地元だけでお祝いするにはもったいないほどの見ごたえでした。

餅まきの様子
餅まき。紅白の餅で縁起を担ぎ、大漁を願う。参加者から笑顔がこぼれる

「取材でちょっと写真を撮らせてもらおう」ぐらいの気持ちで行った進水祝いでしたが、そうこうしているうちに見たことのない量の紅白もちが船に運び込まれました。子どもの頃からこうしたイベントではひとつも餅を取ることができなかった苦い思い出がよみがえります。

 しかし、いざ始まると写真を撮っていても容赦なくもちが当たるほどで、幸い私もいくつか手にすることができました。縁起とはこうして舞い込んでくるのかもしれません。

水産業の活性化に向けて

第三鮭漁丸のオーナーたちの集まり
第三鮭漁丸のオーナーたち

「第三鮭漁丸」という船名が示すとおり、今回の進水はもうすぐ始まる秋の鮭漁に合わせたものでした。10名の有志がオーナーとなって注文し、建造費用は数億円とのこと。円安や資材価格高騰のなかシビアな判断のもと行われた投資は、地元漁師の生業に対する意気込みを感じました。

 一昨年は船に載らないほどの豊漁だったものの去年は例年並みだったそうで、あらためて海という自然を資源とする産業の難しさに気づかされます。現在、北るもい漁業協同組合天塩支所は「浜プラン」という地域に合わせた取組み計画を実施して、水産業の活性化に取り組んでいます。

紅白餅にあんこがかかっている
ゲットした紅白餅はやわらかくつきたて。縁起をごちそうになる

 もちまきに使われた紅白もちはサイズが大きめ。2つ合わせると60gほどで食べごたえがあります。

子どもには、さらにお菓子のおみやげ

とらや菓子司の贈答用洋菓子
とらや菓子司の贈答用洋菓子

 もちまきが終わり、進水祝いは終了。そのとき関係者から「子どもたちにお菓子のおみやげがありますので、どうぞお持ちください」と声がかかり、トラックに山のように積まれたお菓子の袋が子どもたちに手渡されました。想像を超える大盤ぶるまいにひっくりです。

 私にも袋が差し出され、「協力隊です、ありがとうございます」とつい受け取ってしまいました。中をのぞくと、町の人気店「とらや菓子司」の贈答用洋菓子が入っていました。オーナーの原口義紀さんが作る焼き菓子はとくにしっとり感が絶妙で、ふるさと納税の返礼品としても提供されています。天塩町の進水祝い、それは漁船のお披露目だけでなく、大切な漁業と町民をつなぐ貴重なセレモニーでもあったのです。

<取材・文・写真/三國秀美>

【三國秀美(みくにひでみ)さん】
北海道札幌市生まれ。北海道大学卒。ITプランナー、書籍編集者、市場リサーチャーを経てデザイン・ジャーナリスト活動を行うかたわら、東洋医学に出会う。鍼灸等の国家資格を取得後、東京都内にて開業。のちに渡中し天津市内のホテル内SPAに在籍するも、コロナ感染症拡大にともない帰国。心機一転、地域おこし協力隊として夕日の町、北海道天塩町に移住。