北海道札幌市で生まれ石狩市で育ち、東京や中国・天津市でもさまざまなキャリアを積んだ後、2021年の暮れに北海道天塩町へ移住。現在は地域おこし協力隊として活動する三國秀美さんが、日々の暮らしを発信します。今回は秋を迎えてなお青く茂るササと、2023年に広範囲で発生したササ枯れをレポート。
高校生のシンポジウム支援で天塩町アカエゾマツ展示林へ
2024年9月、関東圏の大学生たちが天塩町を訪れ、天塩高校2年生とのグループワークによりまちづくりアイデアをつくり上げる支援をしました。高校生がプレゼンする「天塩まちづくりシンポジウム2024(高大連携発表会)」は一般公開もされています。
6つの班に分かれてのフィールドワークのなかで、私は木材をアイデアに生かす班の支援を兼ねて天塩町アカエゾマツ展示林に同行しました。足元にはササが生えていたのですがその葉は小さく、留萌(るもい)振興局森林室天塩事務所の渡邊正好氏に聞くと、「日当たりが悪いと葉の育ちに影響し、大きくなりません」とのこと。その説明を聞いて、2023年の「ササ枯れ」と関係があるかもしれないと思いました。
移住してから北海道について知ることは多く、クマイザサもそのひとつ。これまで「熊笹(クマザサ)」と思い込んでいましたが、「ひとつの枝に9枚の葉がある」ことから、「九枚笹(クマイザサ)」と呼ばれることを初めて知りました。
教えてくれたのは北海道大学の福澤加里部(ふくざわかりぶ)先生でした。2023年5月、名寄市にある北方生物圏フィールド科学センターで「北の森林サイエンスカフェ」が開催されたとき、ササの枝を担いで建物の入り口に向かう先生の姿はとても印象に残っています。ササといえば小さいころササ舟をつくったくらいで、その存在をすっかり忘れていましたが、北海道の自然植生を知る重要な植物であることをあらためて学ぶことができました。
100年に一度といわれる一面のササ枯れ
福澤先生との出会いの縁から、その9月に北大中川研究林での自然観察会の案内をいただき、貴重な体験をすることができました。
ササ枯れ見学地まで特別に公開された研究林を車で移動します。珍しい植物やクマの背こすり跡のある樹木、貝の化石、音威子府(おといねっぷ)川を遡上するサクラマスなど、まさに北海道らしい自然の宝庫をプロの研究者による丁寧な説明つきで堪能しました。
広範囲での撮影が難しい状況でしたが、車両が通る道路沿いから見えるササ枯れは、これまで見たことのない光景でした。ササは冬になると枯れるのではなく、60~120年ともいわれる長いサイクルでたった一度だけ花を咲かせ、一斉に枯れるのだそう。「ササ枯れの説明をするのは研究者になって初めてのことですし、次のササ枯れのときには僕らは生きていません。数十年、ともすると100年先ですから」(福澤先生)。その言葉は切なく響き、自然の神秘を感じた瞬間でした。
そのとき先生が手のひらにのせ見せてくれたササの実は、稲よりもひと回り小さなサイズで、古代米に似ているように感じました。「長野県にある野麦峠の野麦とはササの実のことです。昔は飢えをしのぐために食べられていました」。ササの実はその昔、凶作のときに実ったらしく、私たちの命をつなぐ役目を果たしたようです。
押しずしにも利用される地元のササの葉
天塩町でもササの葉はよく使われています。抗菌作用があるといわれる葉の衛生面に加え、華やかさも加わり、料理をさらにおいしそうに見せてくれます。
先日、日の丸旅館でサクラマスの押しずしをつくるということでお手伝いに行くと、新鮮なササの葉が使われていました。鮮やかな緑が食欲をそそります。翌日には、でき上がった押しずしをちゃっかりごちそうに。サクラマス、道産米、そしてササの葉と、北海道の素材や味覚にこれまでになく深く感謝しました。この先も、北海道について学ぶことはまだまだたくさんありそうです。
<取材・文・写真/三國秀美>
【三國秀美(みくにひでみ)さん】
北海道札幌市生まれ。北海道大学卒。ITプランナー、書籍編集者、市場リサーチャーを経てデザイン・ジャーナリスト活動を行うかたわら、東洋医学に出会う。鍼灸等の国家資格を取得後、東京都内にて開業。のちに渡中し天津市内のホテル内SPAに在籍するも、コロナ感染症拡大にともない帰国。心機一転、地域おこし協力隊として夕日の町、北海道天塩町に移住。