広島県安芸高田(あきたかた)市の山あいの集落で、両親とおばあちゃん、山で保護した犬「てん」と暮らす水戸家のmizutomidoriさん。お父さんの実家である今の家に移住して8年目、愛犬てんと家族のにぎやかな暮らしのレポートをお送りします。今回は98歳になったおばあちゃんの記憶をもとに、昔から続く田舎の暮らしの様子をご紹介します。
電気もなかった幼少期から、戦争、そして現在
安芸高田市の里山に住む98歳のおばあちゃん。祖母はこの家で生まれて現在までずっと同じところで暮らしています。祖父は隣村から婿に来ました。外へ働きに出ることはなく家の畑や田んぼ、山の仕事で生活をしてきたので、家を離れたのは女学校時代に寄宿舎に入った4年間だけだそうです。
孫にあたる私は祖父が亡くなった翌年、祖母が91歳のときから同居をはじめました。それまで祖父母宅にはお盆やお正月に帰省するだけだったので、昔のことも地域のこともろくに知らないままでした。せっかく一緒に住み始めたのだから元気なうちにいろいろ聞いておきたいと思い、それから少しずつ気になる話が出てくるたびにメモしてきたのですが、昔の暮らしは「本当なの?」とびっくりするようなことばかり。
昭和2(1927)年生まれの祖母は、ほとんど電気もない生活から戦争を経て現在まで、とんでもない変化の時代を生きています。
いつの時代もいろんな作物を育ててきた祖母
祖母が子どもの頃はたくさんの桑を栽培して養蚕(ようさん)をしていたようです。蚕(かいこ)が葉を食べる音や、家のあちこちでマユをつくってしまうことなど懐かしそうに話してくれます。
その後戦争が始まると、桑の根を毎日掘り起こして取り除き、代わりにサツマイモを植えたそう。女学校時代も戦時中のため、あまり勉強はせず学校近くの田んぼで稲刈りをしたり、病院を建てるための整地作業をしたり。油を取るために松ヤニや松の根をとったりもしたようです。
広島に原爆が落ちたときには、県北部なので爆心地からはかなりの距離がありますが、ちょうど洗濯物を干していて山の向こうが光ったのが見えたといっていました。
ほかには麻を栽培してゆでて繊維をとっていたこと、コルクになるアベマキの樹皮をはいでいたこと、タバコの葉の栽培や干しシイタケを出荷していたことなど、いろいろな話を聞きました。山には杉やヒノキを植林していて、その苗木の栽培も長年していた仕事です。
さらに上の、祖母の親の時代は紺屋(こんや)で藍染めをしていたようで「道具や型もあったのにみな燃やしてしまった、今ならとっておくんだけど」と残念そうにしています。
昔の里山の風景を懐かしむ
ずっと同じところで暮らしていても、今と昔ではだいぶ周りの様子は違うよう。昔は小さな田んぼが山の上のほうまでたくさんあったらしく、今は木が生えていてもよく見ると石垣が残っていて段々になっていたのがわかります。山の道も、今はだれひとり通りませんが、昔は行き来する人がたくさんいて、休憩場所の峠の松の側ではみんな腰をおろして休んでいたんだとか。
小学校に通う道では同級生が番傘ごと風に飛ばされて田んぼに落ちてしまったとか、ソウズ(水車小屋)で米や麦をつくときは夜中に提灯をもって様子を見に行くのが怖かっただとか、お尻をふくのに使う柔らかい葉っぱは春に採ってアマダ(屋根裏)に保存しておくなど…。
あげればキリがありませんが、今では想像もつかないようなことばかりです。苦労もあったと思いますが、大変だったとかしんどかったという言葉は一度も聞いたことがありません。また、いつだったか「風呂の蛇口から湯が出るのをお母さんが見たらたまげた(びっくりした)だろう、見せてあげたいといつも思うんよ」といっていたこともありました。
98歳とは思えないくらい体力のある祖母ですが、昨年はとうとう野菜づくりをほとんどやめてしまいました。祖母といえば真っ先に思い浮かぶのが畑にいる姿なのでなんだかさびしくなりましたが、それでも草取りや豆仕事などは張りきってしてくれています。
記憶力も、以前に比べると人の名前がわからなくなったり、途中であやふやになることが増えてきました。一緒に住み始めてから教わったことがたくさんあって、私にとっては本当にいいタイミングだったと思います。まだとうぶん元気そうなおばあちゃん、これからも楽しく過ごしてもらいたいものです。
【mizutomidori】
広島県安芸高田市の祖父母の家へ移住して7年目。家族とおばあちゃん、犬のてんとの田舎暮らしの日常をInstagramで発信中。