仕事も家も決まってない。だけど私達が移住しようと思ったわけ

移住先も仕事も決まっていないのに、「移住したいから、辞職したい」と夫が職場に伝えてしまった瀬野さん夫婦。たわいもない話から始まった移住計画は、あるときからどんどん具体的に進み始めます。現在は北海道上士幌町に移住して、デザイン会社を営んでいる瀬野祥子さんが当時を振り返ってくれました。

「いつか住めたらいいな」から、あっという間に移住を決意

北海道の野原で遊ぶ子ども

 東京から北海道に移住して、夫婦でデザイン業を営んでいるワンズプロダクツの瀬野祥子です。 人口50万人の区から人口5000人の町に移住し、出会った人々や、起業して感じたこと、そのときどきの心境をできるだけ正直に伝えられたらと思っています。

「北海道の平家の家が好きなんだ。いつか住めたらいいな」と夫が話してくれたのは、結婚を決めた北海道旅行のときのこと。

「いいねー!」と、そのときは軽く答えていましたが、まさかその2年後には北海道のど真ん中、十勝上士幌町(かみしほろちょう)に住むことになるとは、夢にも思っていませんでした。
 移住を本格的に考え出したのは、旅行の1年後、子どもが産まれて数か月経った頃でした。

北海道の雪原で寝転ぶ人

 学生の頃から本当によくしゃべっていた私たちは、その日もどんな子どもになってほしいか、理想の生活について話していました。

「虫を平気で捕まえれる奴になってほしいなー」とか「だれにでもあいさつできる子になってほしいなー」とか、「ご飯は家族みんなでそろって毎日食べれたら幸せだね」とか…。

 たわいもない話をしているうちに、だんだん「大自然のなかで子どもを育てたいね」という話になり、「もし移住をするなら、今の仕事を辞めることになる。でも、長年お世話になった会社を急に辞めたら迷惑がかかるし、今の仕事は専門職だから、新しい人を雇ってもらって引き継ぎをしてから辞めたい。それは数か月ではないかもしれない」と、夫が話始めました。

移住先も決まっていないのに、1年後に退職することに

北海道の草原と家

 もし田舎に移住したら、アパレルの専門職の求人はほとんどないはず。服飾の専門学校の同級生だった私達は、PhotoshopやIllustratorは使えても、WordやExcelはほとんど使えないし、生地の素材や縫製の知識はあっても、帳簿のつけ方も計算の仕方もよくわかりません。
 
 こんなんで移住して大丈夫なのかと、東京に住む私達の両親や友達からは心配されましたが、「家族みんなで過ごせる時間が増えるなら、どんな仕事もがんばれる」という、どこからあふれ出てるのかよくわからない夫の自信が、なぜか私にも伝染。無謀にも私達は、職も家も、どこに移住するかさえも決まっていないのに、移住を決意し、夫は数週間後に職場の社長に「北海道に移住したいので、辞職したい」と伝えたのでした。

北海道の夕暮れ

 その当時のiPhoneのメモに、こんな恥ずかしいポエムを書いていました。

 イルミネーションもきれいだけど、満点の星空やグラデーションに染まる夕焼け空の美しさを見せてあげたい!
 メダルやモンスターも楽しいけど、色づいた葉っぱやドングリ、セミの抜け殻や色とりどりの花も集めてほしい!
 行列のできる朝ご飯もいいけど、自然のなかで炊いたご飯のおいしさも感じてほしい!
 どの遊具で遊ぶかよりも、なにもないところでどんな遊びをしようか考えられるようになってほしい!
 周りの人みんなに育てられ、おいしいものを感謝して食べられる。
 そんな毎日を笑いながら家族で過ごしていきたい。
 そんな子育てがしたい!

花を摘む子ども

 気持ちが高ぶった夜に、この思いを記録しておこうと考え、打ったのだと思いますが、この恥ずかしいポエムが、今振り返ると私達が移住を決意した理由なのだと思います。

 でも実際、このメモに書いているあることはほとんど実践できているし、本当にたくさんの人に助けてもらいながら、日々を過ごしています。思いは、iPhoneにメモしておくと、かなうのかもしれないですね。

 話を戻すと、夫は移住の思いを社長に相談し、1年後に仕事を辞めることになりました。逆に考えると、1年後には職を失う。

「いつか住めたらいいね~」なんてのんきなことは言ってられなくなり、ここから私達の本格的な移住先探しと準備がはじまったのです。

農作業を手伝う子ども

 この当時赤ちゃんだった息子も今じゃ6歳。「今日の星空はほんとキレイだねえ~」とさっきから窓の外をずっと眺めています。今日の上士幌は満点の星空です。

<取材・文/瀬野祥子(ワンズプロダクツ)>

瀬野祥子さん
2016年に北海道上士幌町に家族で移住。現地でさまざまな仕事を経験し、夫と一緒にデザイン会社「ワンズプロダクツ」を起業、地域のニーズに応えている。