ドラマにも登場。琉球王朝時代から伝わるカラフルな伝統菓子

琉球王朝時代、中国と日本の双方の影響を受けながら、独自の美意識の中で育まれた琉球のお菓子。今回は、野菜ソムリエ、アスリートフードマイスターなど食に関する資格を持つ津波真澄さんが、今も伝わる王朝菓子を3種類紹介します。

カラフルに彩られた王朝菓子も存在

琉球菓子

 沖縄の伝統菓子の代表格といえば「ちんすこう」。そのちんすこうを含め、かつて沖縄が「琉球」と呼ばれていた時代には、王族や貴族など限られた人しか食べることができなかった「王朝菓子」が多くありました。しかし、琉球王国が消滅し、戦争などを経るなかで、つくられなくなったり、大切なレシピが失われたりと、今に残るものは残念ながらほんの一部となっています。

 そのなかで、今回カラフルに彩られたものを2種類取り上げているのですが、当時使われていた天然の着色料が興味深いので、まず色についてご紹介します。緑は季節の「青菜」を使って染められており、かつてはヘチマの葉も使われていたとか。赤は「正延紫(しょうえんし)」と呼ばれる、中国南部に自生する樹木に寄生する非常に小さな虫を乾燥させてつくられるもの。こちらは、現在は入手できないようです。黄は「山梔子(くちなし)」。現在はウコンも使われているようです。

小説がきっかけでよみがえった千寿糕(せんじゅこう)

千寿糕 せんじゅこう

 婚礼や法事に用いられていた、見るからに華やかでかわいい千寿糕。ハスの花がモチーフです。一年忌、三年忌では色をぐっと控え、七年忌では、ほんのり色をさして用いていました。とくに三十三年忌の大焼香では欠かせないお菓子で、パーッと華やかに色をさします。この色合いのものは、じつは、滅多に見られない最終形態のものなのですね。

 戦後もつくられていたらしいのですが、十数年前まで姿を消していました。しかし、小説「テンペスト」(池上永一著)が出版されたのをきっかけに、沖縄の老舗「新垣菓子店」が口伝のレシピをもとに復活させ、大きなニュースになりました。(小説の中で、主人公・真鶴の親友として登場する琉球国王の側室・真美那が、ことあるごとにつくるお菓子として描かれています。)「テンペスト」はテレビドラマ化もされ、そのなかでもちらりと登場していました。

 中にはチッパン(かんきつ類の果肉や皮を砂糖で煮つめて乾燥させたお菓子)が練り込まれたゴマあんが入っており、甘さのなかにさわやかさも感じられる焼き菓子です。

ひだがトサカのような「闘鶏餃(たうちーちゃお)」

闘鶏餃 タウチーチャオ)

「闘鶏餃」のひだは、今でこそ縄をなったような形になっていますが、本来はトサカのようにとがった形でした。このお菓子の名前の由来です。

 材料は前述の千寿糕と全く同じで、溶かしたラードに小麦粉を混ぜ込んだ皮で、チッパン入りのゴマあんを包んでいます。千寿糕との違いは、こちらは揚げ菓子であるという点。サクサクの食感を味わえます。

 ちなみに、「千寿糕」「闘鶏餃」は新垣菓子店の直営店で購入ができます。

冊封使への届け物「薫餅(くんぺん)」

薫餅 くんぺん

 素朴な味わいの「薫餅」は、文献(『琉球冠船記録』)によると7410粒が冊封使(中国皇帝から派遣された使者)に納められたという記録がある、由緒正しい王朝菓子のひとつです。

 現在、さまざまなお店が薫餅をつくっており、そのほとんどが白ゴマやピーナッツあんなのですが、文献(『与那城御殿御菓子并万例帳』)をたどると、本来は黒ゴマと砂糖を混ぜただけのものだったようです。

 しかも記載されている約100種類のお菓子のうち、黒胡麻を使ったものは薫餅を含めて2種類のみという、珍しいお菓子でした。戦前までは黒ゴマだったようですが、時代とともにレシピが変わったのでしょう。現在販売されている、白ゴマやピーナッツあんの薫餅もおいしいのですが、昔ながらの黒ゴマのみのものも食べてみたいものです。

 以上、今に伝わる王朝菓子を3種類ご紹介しました。沖縄を訪れる機会がありましたら、琉球王朝時代に思いをはせながら、ぜひ召し上がってみてください。

<取材・文>津波真澄

津波真澄さん
広島県出身、那覇市在住。外資系企業などに勤務し、海外でも生活。10年ほど前に沖縄に移住。野菜ソムリエ上級プロ、アスリートフードマイスター1級、インナービューティープランナーほか、食に関する資格を持ち、「沖縄」「環境」「食」の知識や経験をもとに、料理教室を主催し、企業やメディアからの依頼でレシピ開発やメニュー監修をするほか、通訳や講演・執筆活動も行っている。美と健康の知識を要するミセスジャパン2019世界大会で第4位(2nd Runner-up)を受賞