北海道十勝で、農業を営みながら創作活動を続けた画家、神田日勝(かんだにっしょう)。32歳でこの世を去った彼の作品が今、再び注目を集めています。今回は没後50周年の記念展覧会を紹介。
朝ドラで注目された孤高の農民画家、神田日勝
北海道・鹿追町。十勝平野に位置する農耕と酪農が盛んなこの町には、地元が誇る画家・神田日勝の作品を収蔵する「神田日勝記念美術館」があります。
神田日勝は、2019年上半期のNHK 連続テレビ小説「なつぞら」で、主人公・奥原なつが絵心を育むきっかけになる山田天陽のモチーフとなった画家。
ドラマの感動の余韻が日勝への関心を高めていますが、没後50年を迎える今年、記念巡回展「神田日勝 大地への筆触」が東京・鹿追・札幌の順で11月まで開催されています。天陽君を演じた吉沢亮さんが音声ガイドを担当していることも注目のひとつです。
貧しい生活のなかで開花させた独自の作風
神田日勝は1937年に東京で生まれ、幼少期に一家で十勝・鹿追町に移住し、貧しい開拓農家の家庭で育ちます。中学生の頃、後に東京藝大に進学する兄の影響もあり、油絵を描き始め、中学卒業後は農業に従事しながら絵画に情熱を傾けます。
ベニヤ板にペインティングナイフで描くのは日勝の独自のスタイルです。「なつぞら」では天陽君が大きなベニヤ板に馬を描く姿が印象に残っていますよね。馬は、日勝にとって生涯の重要なモチーフ。公募展に初出品したのも農耕馬の絵でした。
このように、天陽君の面影が感じられるのも、今回の回顧展や美術館に足を運ぶ楽しみといえます。
とはいえ、神田日勝の作品は、特定のイメージにのみ収まるものではありません。回顧展では、公募展の出品作など18歳(1956年)頃の作品から1970年に32歳で亡くなる直前の作品までを展示し、作風の変遷とともに人生と芸術に真摯に向き合った日勝の実像に触れることができます。
日勝が多くの作品で題材としたのは、農耕馬や牛、古びた家屋やドラム缶、働く人たち、畑の収穫物など身近な物事。初期の作品では、両親がだまされて買ったやせおとろえた馬や、大量の空き缶を積んだゴミ箱などがモノトーンの色調で描き出されています。
筆者は、東京ステーションギャラリーでの展覧会を鑑賞しましたが、ペインティングナイフで刻むように描いた絵は力強く、観ている者の胸に迫ってくるような筆触が印象的でした。
馬の毛並みやトタンの屋根、石の壁などもリアルな質感で、どこかせつなく、懐かしいような感情を呼び起こされます。キャッチコピー「ここで描く、ここで生きる」を体感できるのも展覧会の醍醐味です。
最後まで描き続けた絶筆も展示
一方で、ひとりの人間としての日勝の内面が表現された作品群も。1966年頃から明るい色調の絵が描かれるようになり、題材もアトリエの風景や日勝本人と思しき人物が室内で座り込む姿など、土の香りがする初期の作品から都会的で内省的なものへと作風が変わります。
アトリエは自分のものではなく、雑誌に掲載されていた他の画家のアトリエの写真を参考にしたもの。新聞紙を写し取ったコラージュ風な趣で時代性が伝わってくる作品もあります。
北海道の有力な美術展で入賞するなど、画家として認められるにしたがい、農業と並行して制作を続けることへの葛藤が生まれことで、内省的な作風へとつながったのかもしれません。
さらには、フランスの芸術運動「アンフォルメル」を取り入れ、あざやかな色調でダイナミックに描いた現代アートを思わせる作品も手がけ、画家としての幅を広げる試みも。
一度も十勝を離れることがなく、農民として文字通り大地に足をつけて生きた日勝ですが、同時代の絵画の潮流にも触発され、作家性を磨き上げていったのです。
展覧会の最後に出会えるのが、絶筆となった馬の作品です。左向きの馬の半身のみが描かれ、右側は鉛筆によるアウトラインが残るベニヤ板の地肌そのままの作品は、命の灯が消える直前まで創作に情熱をかけた姿を想起させるとともに、現在進行形で日勝の制作の場に立ち会っているような思いにもかられます。
画家として農民として、苦労を重ねた生き方が作品から伝わってくるとともに、古臭さや牧歌的な印象を与えない斬新な作風は、一見の価値ありです。
神田日勝没後50周年回顧展は、札幌市の北海道立近代美術館にて2020年9月19日(土)から11月8日(日)まで開催中。会期後は、神田日勝記念美術館の常設展(入れ替え時期あり)にて日勝の作品に出会うことができます。
取材・文/土倉朋子
北海道出身。北海道のマイナー施設をこよなく愛する在京ライター。女性誌を中心に生活関連からワインまで幅広いジャンルでの取材を得意としている。