―[東京のクリエーターが熊本の山奥で始めた農業暮らし(3)]―
東京生まれ東京育ち、田舎に縁のなかった女性が、フレンチのシェフである夫とともに、熊本と大分の県境の村で農業者に。雑貨クリエーター・折居多恵さんが、山奥の小さな村の限界集落で、忙しくも楽しい移住生活をお伝えします。《第3回》
つらい時の合言葉は楽しめ自分!えらいぞ自分!
「半年東京で物件探して、もしも出会わなかったら熊本市内で探そうか」
……なんて言わなければよかったな、と何度思った事か。深く考えて言ったわけじゃないのです。
自分でお店開業する! と夫が東京・恵比寿のレストランを辞めたのは、結婚して3~4年目。東京でさまざまな物件を見たけれど、縁がなかったのか予算がなかったのか決められず。そして熊本市(夫の故郷)で探したら、一度で、トントン拍子で決まったのでした。
東京と横浜にしか住んだことがない私が、熊本市内に。自分の家族はもちろん愚痴を言う友人もおらず、大好きな古着屋も気晴らしに1人でランチに行けるお店も知らないじゃないか……と、最初は思いました。
今なら、東京→産山村ではなく、東京→熊本市内→産山村とワンクッションあったからこそ、すんなり産山村に移住できたのだと言えますが。
熊本市内でレストランカフェをオープンし、友達や知り合い、お気に入りのお店も増え、東京では躊躇していた念願だったボストンテリアも飼い始め、数年で、東京より熊本の方が住みやすいよね~なんて話すほどに馴染んでいました。
いつもつらい時の合言葉は、「楽しめ!自分!えらいぞ!自分!」。
すこし愚図るが、新しい環境にわりとすぐに馴染んで楽しめる、これは移住向きの性格なのかもしれません。
熊本市内での生活は、早朝から夜中までお店で忙しい毎日。農薬不使用の野菜やオーガニックの食材を可能な限り使用し、休日も生産者さんに会いに行ったり、食材の仕入れに行ったり。せっかく飼いはじめた愛犬と丸々1日ゆっくり過ごすのも少ない日々でした。
ここでなら死んでもいいと思える場所で生きていきたい
そんな時に起こったのが2016年の2回の大きな地震でした。
4月14日の1回目は、主人が持病のヘルニアを悪化させ、立つのもやっとの状態だったので、夜は予約のみにして料理を出し終わり先に家に戻ってもらった、その直後の揺れでした。
お店自体、大被害ではなかったものの、お皿は大量に割れて、物販スペースもグチャグチャ。ゴールデンウィークに向けてたくさん仕入れ仕込み中だった食材は、冷蔵庫や冷凍庫から飛び出し、無残にも床に散乱。
片付けは大変でしたが、その時は「数日休んで営業再開だな」なんて軽く考えていました。
地震時に自宅にいた主人は、激しい腰痛を我慢し杖をつきながら店へやってきました。その際、階段を下りる途中でつまずき、さらに足首をねんざ。これで両手に杖に……。
4月16日、本震となる2回目の地震が真夜中に起こりました。その時は、同じビルに住んでいた義祖母(歩行時に杖が必要)と、両手に杖を持つ主人と愛犬と私で、ものすごい揺れが長く続く暗闇にいました。
大きな揺れが収まっても次々と余震は続く。私が2人分の命の責任を持って行動を決断し、近所のコンビニの駐車場へと、杖が必要な2人と愛犬を避難させることに。もちろんエレベーターは使えず、普段物置代わりになってしまっている階段に向かう。……通れない。
思い出がつまったもの、高価だったもの、そんな捨てられなかったものたちが厚く厚く床に。重い石板のオブジェが倒れて階段をふさぐ。
杖の2人を待たせ懐中電灯を片手に、力いっぱい邪魔物を動かす。頭の片隅で「あーこれが火事場の馬鹿力なんだろうな」と思いながら。
皮肉にも水の都熊本は豊富な地下水があるにも関わらず、電気が止まり飲み水にも苦労しました。その時に強く思ったのは「ここでは死にたくない」でした。そして「ここでなら死んでもいい、と思える場所で生きていきたい!」と思ったのです。
それは、普段はガスも電気も使うけど非常時にはなくても生活できる場所。
具体的には豊かな水があり、畑があり、凶器に変身する高い建物もなく、電気ガス水道が止まっても火をおこしたりして、しばらくはサバイバルできる場所。そして、それができる自分。これからはそうなりたい!と強く思いました。
しばらくはキッチンに立てないどころか、普通に歩けるのか? という主人と話し、すぐに
「お店は辞めよう」
と決めました。どちらからともなく自然にそう思ったのです。
熊本市を離れてもなお、怖くて寝巻が着れなかった日々
腰の手術をせずに治したいという主人。しばらく療養できる場所として宮崎県に隣接する熊本県上益城郡の山都町を選びました。
オーガニックの野菜の生産者さんが多く、休日に畑を見に行っていたこともあり、ご厚意で短期間住める家を貸してくれる方がいたからです。
この期間もずーっとずーっと地震が続いていたので、私は恐怖心から寝巻に着替える事が出来ず、半年以上もの間、いつでも飛び出せる格好でリュックを枕元に寝床に入っていました。
みんなが復興しようと頑張っているときに、もう元に戻れないと思ってしまった私たち。地震で現実世界からポーンと放り出されて異次元に来てしまい、頑張るみんなを遠くから見て、そこに居ない自分を物悲しくなったりもしていました。
主人の腰は3歩進んで2歩下がる状態でしたが、調子が良い時はジビエ処理のプロの元へ毎日通い、さばき方を教わったり、分けていただいたジビエ肉で新作料理を考えたりしていました。
私は「ここでなら死んでもいいと思える場所で生きたかった」し、死にそうな思いをした主人はやりたいことを自問自答したら、「自作のオーガニックのブドウで醸造したワインが造りたい」と思ったようです。
そして、私たちは次の移住地を探し始めました。
折居多恵さん
雑貨クリエーター。大手おもちゃメーカーのデザイナーを経て、東京・代官山にて週末だけ開くセレクトショップ開業。夫(フレンチシェフ)のレストラン起業を機に熊本市へ移住し、2016年秋に熊本県産山村の限界集落へ移り住み、農業と週末レストラン「Asoうぶやまキュッフェ」を営んでいる。