―[東京のクリエーターが熊本の山奥で始めた農業暮らし(41)]―
東京生まれ横浜&東京育ち、田舎に縁のなかった女性が、フレンチシェフの夫とともに、熊本と大分の県境の村で農業者に。雑貨クリエーター・折居多恵さんが、山奥の小さな村の限界集落から忙しくも楽しい移住生活をお伝えします。今回は、水の大切さをレポート。
3世帯6人が使う大事な水道が故障
生きるためにはもちろん、なにをするにも必要な大事な水。私たちの住む集落は3世帯の人口6人。そのうち、ご高齢のお母様方が2人なので、労働人口は4人(というか3.5人。0.5人前は私)。その6人だけで使う大事な水源があります。
水道の栓をひねるとこの水が出てくる。これがどんなにありがたいことなのか、しみじみと感じる出来事がありました。
水道から水が出る。いやいや、そんなことは当たり前でしょー! と今の日本に住んでいる人のほとんどは思うに違いありません。山間部はともかく街にいたらすごく当たり前のこと。お金払えば使えるでしょという感覚ですよね。
もしも、どこかの水道管が老朽化で破裂ししばらく水が使えないとなったら、それはもう大騒ぎでしょう。でも水道から水が出なければ、すぐそこのコンビニで水買えばいいし!ですよね。
子どもの頃、親に「お水がもったいないから流しっぱなしにしないの!!」と怒られたことのある方も多いのでは? 「そうだよね」と頭ではわかっていてもなかなか心底実感することは人生のなかでも少ないかもしれません。思いつくとしたら、水場の遠いキャンプ場やアウトドアでのシーンくらいかも。
ところがここ最近、心底実感するような出来事があったのです。
倒木による配管の不具合を集落の人が修理
この日は朝からバタバタしていました。お店はディナー営業の日でした。が、朝から夫は腰が痛くてまっすぐ立てず。慌てて熊本市内に住む義母に来てもらい、手当&応急措置をしてもらい、やっと痛いながらも立てるまで回復しキッチンで準備しよう、というタイミングで…同じ集落の方が「水の出悪くない?」とやって来ました。
「えー??」と慌ててキッチンの水を出そうとするも、ちょろちょろしか出ない。朝からのバタバタで、水の出まで気がつかず。
そのとき、真っ先に頭に浮かんだのは「困ったな。今日の営業できるのかな?」でした。と言うのも、ディナーのお客さまはというのはasoうぶやまキュッフェでディナーをするために宿を予約されてる方が多く、キュッフェの営業ができないとなると、宿や旅行の日程自体を変更されることになるのです。お客さまのことを考えると、当日にいきなり休業はどんなことをしても避けたい…。
ましてや他のお店をご紹介しようにも、近隣には夜にご飯が食べられるところも総菜が買えるところもない真っ暗闇の産山村。
本来ならばここで労働人口3.5人のみんなで水源へチェックしに行き、問題を解決せねばならないのですが…。立っているだけで精いっぱいの腰くだけの夫と、これから数時間仕込みと開店準備をしないとならない0.5人前の私は動けず。実働できる3.5人中の1人の方は、お仕事で留守。
「じゃとりあえず1人で見てくる」と3.5のうちの残りの1人である集落の方。「すいません!お願いします!」と頭を下げながら、本当に本当に申し訳なく思いました。こんなときに腰が痛み歩くのも不自由な夫にも、いざというときに役に立たない自分にも腹が立ちました。
とりあえずきれいな飲み水をタンクに確保し、最低限の使用量の水での仕込みや準備を始めました。ちょろちょろの水を使いながらも、お客さまがトイレに入ったりしたら水大丈夫かなとか、このちょろちょろも出なくなったらやっぱり営業できないかなとか、働きながらも頭の中は不安がいっぱいでドキドキ。
さらには私たちが営業することによって水を使ってしまい、この集落の他2世帯に不便をかけたり迷惑をかけたりするのではないかと、自分たちやお客さまの都合で営業すること自体を再び迷ったり悩んだりもしました。
結果、大雨による倒木で水の管が外れタンクに流れ込む水が減ったことが原因と判明。お願いした集落の方がいろいろ手当をしてくれたおかげで3、4時間後には無事に復活しました。
水のありがたみを心底実感
泣けるほどありがたいと思った水の復活と他人との共生。1人では生きていけない。それは移住してから何度も何度も思ったこと。決して、やっぱり、1人では生きていけない。これは事実。
そもそも水源で水を寄せて貯める場所も、集落の方のお父さまやおじいさまの代にお手製でつくったもの。いくつかの水源を確保し1つが少なくなってもほかで補えるように考えてあったそうです。
平地どころか斜面の中ほどでの作業の大変さや、そこまでにさまざまな材料や道具を持っていくことなど考えるだけでも、苦労して確保した大事な水なんだと思います。
1人で奮闘してくれた方が最後に「水は大切に使ってください」と言いました。本当にそう思います。この一言で今まで以上に大事に大事に使うとともに、移住者の私たちでも次の代にも継いでいけるようにバージョンアップしていく責任があると感じる出来事でした。
折居多恵さん
雑貨クリエーター。大手おもちゃメーカーのデザイナーを経て、東京・代官山にて週末だけ開くセレクトショップ開業。夫(フレンチシェフ)のレストラン起業を機に熊本市へ移住し、2016年秋に熊本県産山村の限界集落へ移り住み、農業と週末レストランasoうぶやまキュッフェを営んでいる。