―[東京のクリエーターが熊本の山奥で始めた農業暮らし(43)]―
東京生まれ横浜&東京育ち、田舎に縁のなかった女性が、フレンチシェフの夫とともに、熊本と大分の県境の村で農業者に。雑貨クリエーター・折居多恵さんが、山奥の小さな村の限界集落から忙しくも楽しい移住生活をお伝えします。今回は、ワイン醸造までのアレコレについてをレポート。
熊本地震をきっかけに始めたワインづくり
「いやー自分たちでワインをつくってみたいんですよね!しかもナチュールワイン。へへへ」と、へらへらしながらも熱く語り始めたのは6年前、熊本地震の後。自分たちも話しながら「本当にできるのかなー? できたらいいねー」。いや! 話すことによって自身を鼓舞していたのだと思います。
それまでの生活を強制終了せざるを得ないことになり、途方に暮れていた地震直後。私自身、これほど働くことを休んだのは人生で初めてかもしれない日々。収入のない不安と余震で揺れる日常の恐怖。そんななかでもなにかしたかったし、動きたかったし、どこかに向かって少しでも進んでいたかったのです。
この先、なにがしたい? とお互いに話したときに、夫は「ブドウを栽培しナチュールワインをつくりたい」、私は「ここなら死んでもいいと思える場所で生きたい」でした。
「なにはともあれブドウの苗木を植えないと始まらないよね」と、ワイン用のブドウの苗を30~40本買い込みました。地震後の臨時住まいの状態なのに、仮住まいの庭に植えたブドウの苗木。
地震前の穏やかな日常は多少いろいろあっても想像可能な範囲内…。あのままだったら決して移住はしなかったし、ブドウも植えなかったに違いない。熊本地震という思い出すのも嫌な出来事が、私たちを無計画な無茶苦茶な、でも楽しい道へ進むように背中を押してくれた。軽々とひょこっと別の世界に来てしまった!のです。
今思えば栽培方法もあまりわからないままで、ブドウたちはひょろっとしたまま半年後に私たちと一緒に産山村に移住してきました。そして、最初の春先にはさらに500本の苗木を購入し、原野を人力で鍬を使って開墾したブドウ畑に植えました。
少しづつ増やしたブドウがついにワインに
あれから5年。毎年数百本ずつ増やしていったブドウ。
なんと今年は収穫したブドウたちを委託で醸造に出しました!! 自家醸造ではないものの自家栽培のブドウがワインに変身します。試行錯誤、トライ&エラー、七転び八起き、本当に毎年毎年少しずつ少しずつ進んできた、今でもまだまだブドウ栽培や醸造のひよっこな私たち。まだ入り口にもたどり着いていないかもしれない状態。
各方面の先輩方々からは、「もっと勉強しなさい!」とか「ちょっと早すぎるんじゃない?」などと愛あるアドバイスをいただいたりして、ありがたい! 凹むよりも、ここまでこれたー!すごーい!! という喜びの方が大きいのです。
地震前の私と地震後の私は、革靴を長靴に履き替え、オシャレ服を作業着に変え、メイクではなく日焼け止めを重視し、アクセサリーをつくっていた手は農機具を持つ手やハーブティーをつくる手になりました。
雑貨の買いつけをしたり制作の素材を探し回った足は、野菜の苗を植えたり収穫で歩き回ったり。ビルや車の音や人々の話声や救急車のサイレンを聞いていた目や耳は、どこまでも続く緑の木々や空や鳥の声や動物たちの気配を見たり聞いたりしている。
人生を計画的に考えていたときだったら選択しなかったであろう、今の人生を歩んでいる不思議さに、ことあるごと何度でも自分で驚いてしまうのです。あーだーこーだー小さな悩みは山のようにありますが、なんだか楽しんでしまっている自分にも驚く。
収穫前の最大の悩みは、熟してよい香りを放つワイン用ブドウたちを夜な夜な食べにくる動物対策。去年もでしたが…。
去年以上に対策は増やしました。電柵はもちろん、箱罠や鳥よけのカイトや害獣よけの器具などの対策済み。なのに、それでも食べられた!!! 地面から高さ50cmくらいまでは、ぐるりと網も張り巡らせたのに。
今年はなんとしても委託醸造可能な最低限のブドウは死守したい! とがんばった移住7年目突入直前の私たちです。
折居多恵さん
雑貨クリエーター。大手おもちゃメーカーのデザイナーを経て、東京・代官山にて週末だけ開くセレクトショップ開業。夫(フレンチシェフ)のレストラン起業を機に熊本市へ移住し、2016年秋に熊本県産山村の限界集落へ移り住み、農業と週末レストランasoうぶやまキュッフェを営んでいる。