―[東京のクリエーターが熊本の山奥で始めた農業暮らし(20)]―
東京生まれ東京育ち、田舎に縁のなかった女性が、フレンチシェフの夫とともに、熊本と大分の県境の村で農業者に。雑貨クリエーター・折居多恵さんが、山奥の小さな村の限界集落で、忙しくも楽しい移住生活をお伝えします。
災害にあっても住み慣れた土地から離れられない
7月の豪雨も記憶に新しいまま、9月にものすごい台風の接近。今までの生活があっという間に崩れ去り、なかなか元に戻れないという経験は熊本地震のときに嫌というほど味わいました。不思議と直後よりも少し時間が経った頃に、急にどっと押し寄せてくる感情があります。不安と虚無感とで身動きが取れなくなるのは、意外にも一息ついた頃と思うのです。
いい悪いではなく、経験した人と経験していない人との心に抱える感情が違いすぎて、人と話す際もこれ以上自分が傷つかないように、おっかなびっくりだった時期も長かったです。
産山に移住してきて、今日した小さなことが、明日にもつながり、明後日にもつながって、を繰り返すうちに、固くなった心が本当に少しずつ柔らかくなっていくような感覚でした。でも、気を抜いた途端にまたつまずくような小さな出来事があったりして、せっかく動き出した心がまた固くなる、そんなことの繰り返しだったように思います。
移住4年目の今年も7月の人吉市や八代市など、豪雨で甚大な被害を受けた人々の様子にまた心がきゅっと固くなりました。
雄大な自然の阿蘇の奥に位置する産山村も、設備等の破損など少なからず被害は出ました。街に住んでいた頃は考えもしませんでしたが、畑で作物を育て、湧き水を大事に使い、土地の行事に参加し、少しずつ土地に対する愛着が増してくると、被害を受けても危険な地域と言われても引っ越したくないと思う人々の気持ちがわかるようになり、自分も同じように思うようになりました。
ご先祖様から代々受け継いできた大事な畑や田んぼ。毎年毎年工夫をして作物がなるように改善し、水がない土地ならば水を引いてくる。できたお米や野菜などで家族を養ってきた家。毎日見る景色、毎日見上げる空、毎日一緒に過ごす家族。
大事で大好きな物を置いて簡単に引っ越しできないと、今ならわかるのです。畑も広い空もないところで、自分は何をして1日過ごしたらいいのだろう。と、たかだか移住して4年目の私が思ってしまうくらいなのだから。ずーっとその土地で生活してきた人々は、何十倍も何百倍も思っているでしょう。
だから、土地や家を譲り受けたりするときは、その気持ちを理解したうえで話をしないと、見えてこない相手の気持ちがあることがやっと最近わかってきました。
やっと完熟してきたトマトなのに、収穫のピークに台風だ
過去最大級と言われた2020年の台風10号。平屋の家やお店のトタン屋根も飛ばされないか心配でしたが、野菜のビニールハウスも心配…。各家庭に設置されているお知らせ端末でも、農業用設備や施設に対策をと呼び掛けていました。ビニールを付けたままだと風の抵抗を強く受けハウスごと飛んでしまったり、強風を受けて支柱が曲がってしまったりする。飛んだハウスが近隣の家や車を傷つけてはいけないし、川をせき止めてしまってもいけない。
私たちのビニールハウスも、台風前日にビニールを全部撤去。その中には3月の寒い時季に種を育苗トレイにまき、手間暇かけて育てた5種類のトマトが植えてありました。撤去する前ギリギリまで収穫できるトマトは収穫しました。
ビニールハウスのトマトは急にたっぷりと水分を含むと割れてしまいます。割れたトマトは商品にならないし、虫が付きやすくなったり、カビたり痛みやすくなったり、病気にもなりやすい。やっと最近熟し始めた大玉トマトや、たくさんなっている小さな豆トマトたちを眺めながらのビニール撤去作業は、何とも悔しい気持ちでいっぱいでした。
まだまだ寒い3月に育苗トレイに種をまくところから始まり、毎日の水やりはもちろん、保温のためのビニールトンネルを開けたり閉めたり、芽かきをしたりお世話して5月にやっとハウス内に定植。やっとこれからたくさん収穫するぞ!というタイミングでの台風。
新米弱小の私たちでもこんな気持ちになるのだから、収穫のタイミングで台風を迎えねばならない大規模農家さんたちは、もっともっともっと複雑な悔しい気持ちのはずです。
そしてさらに、このはがしたビニールをまた張り直すんですよね? と考えると気が重くなる。小さめのビニールハウス2棟。小さいけれど、ベテランさん含め大人5名で1日がかりで1棟建てたハウス。
台風後にブドウ畑もチェックしに行くと、強風で枝が折れたり、ワイヤーが切れている箇所もあった。これも順番に張りなおしの作業をしていかねばならない。
毎年のように襲われる豪雨や台風にヒヤヒヤドキドキして、夏から秋は本当に気が抜けません。野菜づくりの経験も浅く、未熟なうえに天候にも多大な影響を受け、今年の夏の野菜づくりは苦戦。農業とは、自然の恵みと自然の脅威と入り混じった大変な仕事だなと実感しています。
大自然に囲まれての産山村の生活はいい面も数えきれないくらいたくさんありますが、やはり自然災害の可能性は無視できない。だけど、それでもやっぱりここで生きていきたいと思わせる強い魅力が、阿蘇産山にはあると思うのです。
―[東京のクリエーターが熊本の山奥で始めた農業暮らし]―
折居多恵さん
雑貨クリエーター。大手おもちゃメーカーのデザイナーを経て、東京・代官山にて週末だけ開くセレクトショップ開業。夫(フレンチシェフ)のレストラン起業を機に熊本市へ移住し、2016年秋に熊本県産山村の限界集落へ移り住み、農業と週末レストラン「asoうぶやまキュッフェ」を営んでいる。