―[東京のクリエーターが熊本の山奥で始めた農業暮らし(21)]―
東京生まれ東京育ち、田舎に縁のなかった女性が、フレンチシェフの夫とともに、熊本と大分の県境の村で農業者に。雑貨クリエーター・折居多恵さんが、山奥の小さな村の限界集落で、忙しくも楽しい移住生活をお伝えします。
春の野焼き、秋の輪地焼き
ちょうどコスモスが満開の時期に、秋の風物詩、稲刈りが行われます。この収穫が終わると、夏の間忙しかった農家さんたちもほんの少しホッと一息つけます。わが家は米づくりをしていませんが、それでもさまざまな野菜やレモングラスなどのハーブ類の収穫&保存のための乾燥作業に追われます。
稲穂で黄色黄金色に輝いていた田んぼが少し寂しくなり、栗が出回りはじめ、皮むきで手が腱鞘炎になりそうなこの季節に、毎年しなければならない大事な作業があります。
それは輪地焼き。読み方は「わちやき」です。ほとんどの人にとっては何、それ? と聞きなれない言葉でしょう。私も4年前まではそんな1人でした。街で生活している限り聞くことも使うこともない言葉ですね。
輪地焼きとは、3月の春先に行う「野焼き」の下準備となる下焼きの1つです。阿蘇のドライブで気持ちよく眺める草原。今の時期秋はところどころにコスモスが咲き、一面のススキが風に揺れ、夕日で銀色になったススキが海のようにどこまでも広がる風景は、阿蘇ならではと思います。本当にこの土地の一番の特徴であるのが草原です。
広大で気持ちのいい草原を維持するために、必要な作業が野焼き。輪地焼きは、次の春先の野焼きで焼いてはいけないものを守る準備として、必ずするべき作業なのです。
焼いてはいけないものって、なんだと思いますか?
それは、家や牛舎。あるいは財産でもある杉の木、私たちでいえばブドウの木などのこと。「焼く場所」と「焼いてはいけない場所」の境界線の草を刈り、それを燃やすのが輪地焼きなのです。
簡単に境界線と言っていますが、それは平坦な紙の上の1本の線と違って、わりとワイルドな山の中の境界線。急な斜面を登ることもあれば、降りることもあるし、木が生えていて大きく迂回しなければならない箇所や、蜂の巣があったりして真っ直ぐ行けない道もあったりなどなど、さまざまなハプニングがあります。
枯れ草を集めて、輪地焼きが始まる!
境界線となる部分の草は、輪地焼きの2週間くらい前に刈っておきます。すると輪地焼きをする頃には乾燥した枯草になっており、それを巨大なフォークのようなもので寄せて集めて枯れ草の境界線を描きます。
そこにバーナーで火をつけると、最初は小さな火もすぐに大きな炎になります。火がついた枯れ草を、大きなフォークで線上に並べた枯れ草に順番に着火していくのです。
輪地焼き当日まで雨がしばらく降っていなかった今年は、よく燃えました。炎の勢いが強かったので少し離れたところからでも熱かった!
そのよく燃える境界線以外の部分は、まだ青々とした草が生えているので、それ以上は燃え広がりにくいのです。また、少ししたら夜露が下りてくるであろう夕刻から始めるのが、安全とも言われています。
草が青々していない枯れ草の時期に行うと、線以外もどんどん燃えていってしまいますし、昼間から始めると、太陽が出てどんどん空気が乾燥していくので、燃え広がりやすくなります。そんな理由から、この時季のこの時間帯に輪地焼きを行うそうです。
たまに燃え広がってしまった地区の森林火災のお知らせが、各家庭にある連絡端末から流れてきたりします。これを聞いたら消防団は駆け付けなければいけません。
今回は、15時半くらいから始まりました。ベテランさんが指示する方向から火をつけ始め、丁寧に素早く炎を伸ばしていく。簡単そうにみえるのですが、実際にしてみると、これまた意外に難しい! 火を消さないように、丁寧だけど素早く先に先に火をつけて持っていくのです。
春先の野焼きより規模が小さいとはいえ、火事になる危険な作業でもあるので、もちろん、水をたっぷり入れたタンクを軽トラに積んでホースで確実に火消をしていきます。
最後はきちんと火が消えているかどうか見回りをします。今年は終わった後の夜に小雨が降り、天気的にもぴったりな日でした。こういった作業を毎年毎年、近隣の人たちみんなで協力しながら順番に終えていきます。人出が必要なので、作業が行える最低限の住民はいてほしいなと切に願います。
私たちのブドウ畑のまわりも、無事に事故もなく終えられたことに感謝!!!
春の壮大な阿蘇の野焼きの半年前に、こんな準備作業があるのです。輪地焼きを終え、日がどんどん短くなってくると、あぁもうすぐ冬がやってくるのだなと感じる秋のひとコマです。
―[東京のクリエーターが熊本の山奥で始めた農業暮らし]―
折居多恵さん
雑貨クリエーター。大手おもちゃメーカーのデザイナーを経て、東京・代官山にて週末だけ開くセレクトショップ開業。夫(フレンチシェフ)のレストラン起業を機に熊本市へ移住し、2016年秋に熊本県産山村の限界集落へ移り住み、農業と週末レストランasoうぶやまキュッフェを営んでいる。